辻本好子のうちでのこづち

No.013

(会報誌 1995年12月15日号 No.64 掲載)

若い学生さんに思いを伝えて

 COMLの動く広告塔、あるいは口先女(と言うと、スタッフからはえらく厳しく怒られるのですが……、結構私はこのフレーズが似合っていると思っているんです)として、COMLの思いを一人でも多くの方たちに聞いてもらいたい一心で、“招かれればどこへでも”と、あちこち飛んで走っている今日この頃です。

専門学校で“特別非常勤講師”!

 そんな出会いの一つに大阪市立の栄養専門学校の学生さんへの講義(!)という形で、昨年の3コマ(各90分)に続き今年も「現代医療の周辺」ということで8コマの授業を担当させてもらっています。医学・医療には何の学歴も経験もない、こんな私のような立場を「特別非常勤講師」と呼ぶのだそうです。最近、落語家や芸能人があちこちの大学などで文化講師として教育現場に登場しているという、アレと同じです。
 これまでにも医学部や看護学校の講義で単発的に、教壇に立って「患者の本音」を代弁させてもらった経験はありますが、いわゆる連続講義はこの学校が初めて。昨年の3回はいずれも緊張の連続で、むしろ学生の方がゆったりとしていて、私はといえば関心があるのかないのか彼らの表情から読み取る余裕すらなく、ただただ夢中で伝えたい思いをまくしたてて終わってしまったというところが実態です。
 ところが提出されたレポートには、「おもしろかった」「インフォームド・コンセントのことがよくわかった」「これからの患者はもっと自分の言葉を持つ必要がある」といった、涙がこぼれそうな“ヨイショ”の言葉が書かれてあって大感激。ズッシリと重いレポートは、いまも宝物として大切にしまってあります。

育児は育自なり

 思いがけなくも、夏のはじめのある日のこと。「今年は10回ほどで……」という依頼が届いてビックリ仰天。ただ、このところ昨年以上に忙しくなって日常業務も滞る一方、スタッフのチームワークに支えられなきゃ“とっくに沈没”という状況なだけに「どうしよう……」。迷ってはみたものの、おだてりゃ木にも登りかねない私のこと。COMLの思いが伝えられるとの嬉しさばかりが先走って、スタッフにも相談しないで「ハイ、ガンバリマス」。ついついOKをしてしまったことを、ここでこうして懺悔(ざんげ)する次第です。
 結局、日程の調整で8コマのテーマを提出、今日まででようやく半分ほどが終わりました。日頃から「先生」という言葉をなるべく使わないでいる私ですが、ここではその主張を通すこともできず、息子と同じ世代の学生から「先生、先生」と呼ばれて目を白黒しています。最初の講義の日、終了時間を間違えて20分も早く「はい、今日はこれで」と事務所に帰り、スタッフに「早過ぎませんか?」と言われ初めて気がついて、大あわてで事務部に連絡して平謝り。また先日は5時間くらいかけてしっかりノートを作って意気揚々と出かけたところ、教室はもぬけのカラ。「スミマセン、今日は校外学習だったことをお伝えすることを忘れてまして」と、これは事務部の失策です。
 たまたま2週間あいたとき、女子には、もし乳房にしこりを感じたら、男子には、父親が早期の胃がんと言われたら「どんな医療を受けたいか?」のレポートを宿題に出しました。実はそれほど大きな期待はしていなかったのに、出されたレポートを読んでビックリ。どのレポートもそれは見事に期待以上の真剣な思いが書かれていて、宿題を出したつもりが逆に私の課題が大きくなってしまいました。「育児は育自なり」と同様、学生たちに育ててもらう毎日を楽しんでいる最中です。