辻本好子のうちでのこづち

No.108

(会報誌 2004年3月15日号 No.163 掲載)

私と乳がん㉒

自己決定に必要な“ともに歩む”支援
情報があれば自己決定できるわけじゃない

 もうこれ以上は迷いたくない。セカンドもサードもオピニオン(意見)を求め、文献を調べるなど自分なりにすべきことはすべて終えたうえでの再確認の外来受診。朝からつつづく診察がすでに夕方の4時を過ぎているというのに、しっかりと向き合ってくれた主治医の姿勢と心意気に、私は「このドクターとなら信頼関係をともに築いて行ける!」と、改めて確信しました。
 この10年、たしかに日本の医療は変わりました。「お任せ医療」の時代にピリオドが打たれ、その後、医療者側の意識改革や制度仕組みの組み替えによって、決して十分とはいえないまでもそれなりに、患者への情報提供の努力がなされるようになりました。いまだ申請型というハードルは高いものの、カルテ閲覧・開示も少しずつ進んでいます。さらには電子カルテを導入した病院のなかには、パスワードを登録することで患者が自宅で自分の診療情報に目を通せる方法を採り入れているところも出てきています。もちろんインターネットにアクセスしたり学びたいと願えば、良くも悪くも溢れるほどの情報が患者の手に入るようになりました。つまり私たち患者は、いまや「情報がない」と甘えてはいられない時代になろうとしているのです。
 しかし、そうなってみて、初めて、私たち患者は気づきました。情報がありさえすれば簡単に「自己決定」ができるわけではないということを——。そして、情報がありさえすればすべての不安が解消するわけではないということも——。そこに必要なものは「愛と希望」。すなわち「この人に出会えてよかった」と思える“人の支え”“心”です。
 とくに50〜60歳代は形ばかりの民主主義教育と、教師や親からの古い価値観の押しつけで、言うこととやる事が違うという意識の二重構造。つねに理想と現実の狭間で苦しみ、権利は主張しつつも果たすべき義務が何たるかを学んでこなかった。しかし、行動変容願望は人一倍強い世代。つねにジレンマに苦しむ、この世代の特徴が「自己決定」を迫られる55歳の私にピッタリ当てはまります。
 受けた教育、さらには時代や親が悪いと、決して誰かのせいにするつもりはないけれど、自分の医療を自分で選んで決めるという自己決定が、こんなにも難しいことだったとは。どちらかといえば情報や支援が贅沢なほどの状況に身を置く私でさえ、このテイタラク。時代が変わったからといって、急に患者が自立(自律)したり、成熟できるはずはありません。成熟という目的に至るには、その過程において“ともに”という支援がなにより必要です。患者自身が最後まで「私はこの治療方法を選んでよかった」と、自分の選択に責任が負える——そのための支援。つまり背中に回って迷う心をつねに支え、話を聞いたり一緒に考えてくれるもう一人の存在が必要なのです。私にとって、COMLのパートナーである山口育子がその人でした。

“ペイシェント・コーディネーター”の支援

 アメリカのメリーランド州、ボルチモア市にあるジョンズ・ホプキンス病院には、ドクターと患者がスムーズにコミュニケーションできるように援助する「ペイシェント・コーディネーター」が20人ほど配置されているそうです。彼らの仕事は診察の予約やドクターとの連絡、診断書の翻訳や診察当日の通訳(多民族国家で英語の話せない患者に必要な支援ということで、スタッフも多国籍)。さらに、治療方法と治療薬、副作用、術後の回復状況の一般的な情報を事前に調べ、診察時のやりとりのポイントまでメモするといった完璧なサポートシステム。ただ、あくまでも中立ということで、どちらにも荷担しない「黒子」に徹するのが原則。ドクターと患者のよりよい関係づくりと、患者が満足して治療が受けられる支援のための役割のようです。ふ〜〜ん、まったく夢のようですが、こうしたサービスにかかる医療費は莫大です。
 「この人なら!」と、いくらドクターを信頼したからといって、なにもかも甘えていいわけではありません。おそらくこの先、化学療法が始まって未経験の苦しみに襲われたら、弱音を吐いて逃げ出したくなることだってあるかもしれない。そんなとき、恥も外聞もなくすべてをさらけ出し、弱った心を支えてもらいたい。これまでの活動のなかでも、思わぬアクシデントで私がうろたえたとき、山口は冷静かつ速やかに、適切な対応でCOMLを支えてくれました。絶大な信頼を私は彼女に寄せているだけに、最後の決断の場にどうしても同席してもらいたかったのです。
 山口の存在は、まさに私にとっての「ペイシェント・コーディネーター」。ドクターから受けた説明や情報を共有し、患者の私が最も信頼できる家族以上の存在であることを主治医にもアピールしておきたかったのです。再診料(外来診療料)しか払わないのに30分以上もドクターを独占したことに多少の後ろめたさを感じながらも、つくづくと再受診を決心し、山口に同席してもらってよかったと思いました。

いよいよ5日後から化学療法

 同意書にサインをして、いよいよ化学療法の日程調整。3日後に沖縄の病院探検隊の予定が入っているため、その翌々日、つまり5日後の6月12日にスタートすることが決まりました。2時間ほどかかる点滴は外来で受けることとし、4〜5日は仕事も外出もできないだろうとのこと。でも12日以降にも、すでにびっしりと予定が詰まっているため、山口には「だいじょうぶ! 変更しないでそのままにしておいてちょうだい」と、彼女の心配を押しのけるように無理強いしました。
 抗がん剤治療を受けると決心はしたものの、スタートまでにまだ5日もある。「やっぱり、止めておきます」という前言撤回だって患者の権利、そう思うとなぜか私の心は穏やかで、妙に静かな心持ちでした。