辻本好子のうちでのこづち

No.007

(会報誌 1995年3月15日号 No.55 掲載)

看護研修会でナースの質問を受けて

 昨年1年間連載した月刊「看護」(日本看護協会出版会)がご縁で、東京都衛生局の看護公開研修講座に招かれました。どうやらかなり“怖い”というイメージが独り歩きしているらしく、依頼状には「看護職に対し苦言をいただき、今後の看護の質の向上に役立てたい」という旨が添えられ恐縮するばかり。タップリと3時間。「こんな看護に出会いたい」をテーマに活動紹介やCOMLに届く患者や家族のなまの声を代弁し、都立病院のナースや老健施設、看護学校の教務の方々など200余名の参加者が、熱心に患者の思いに耳を傾けてくださいました。

患者が看護記録を見せてほしいと……

 さて話が終わって質疑応答となり、私が最も緊張する場面です。決して正解など出せるはずもなく、ただ精一杯の思いを伝えるだけ。いつもいつも「あれで良かったんだろうか?」と、後々まで悩むところです。
 最初の質問者は最前列の男性看護師さん。患者側から看護記録を見せて欲しいと要求されたが、開示すべきか否かという質問です。私はまず「なぜ患者側が開示を求めたのか」「その時にどうしたか」を尋ねました。勤務先か役所かに提出する書類に“時間”を記入する必要があったらしく、「確認のために見せて欲しい」という理由。すったもんだのあげく、記録を携えて丁寧に説明したところ「あなたを信頼しましょう」。そうは言われたものの……「ほんとうに納得してもらえたんだろうか?」と今も気にかかっているとのこと。
 誠実そうな看護師さんの話を聞きながら、私は嬉しくなってきました。なぜならこの看護師さんは、きっちり患者側の理由を聞き出してくれているからです。患者の要求には必ずそれなりの事情や理由があるものですが、多くの場合、看護現場の忙しさの中で、そうした「なぜ?」には耳を傾けてはもらえず患者の不満になるのです。「おそらくその患者(家族)は、理由を聞いてもらった上での対応に十分納得されたと思う」と、私なりの感想を述べさせてもらいました。

忘れられない10年前の患者の怒り

 つぎに50代とおぼしきナースが「10年以上前のことですが……」と、真剣な表情でマイクを握りました。受け持ち患者10人の採血をしたときのこと。血管が細くなっている高齢者や弱っている人が多い中で、たまたま9人目だった患者さんが体格のいい人だったため、思わず「あなたの血管は太くて助かるわ」と本音を漏らしてしまった。すると突然「オレはモルモットかっ!」と怒鳴られ、気まずい雰囲気になり謝る機会もないまま患者さんはその3日後に亡くなられ「今でもそのことを思い出すたびに辛くなる。そんなときはどうしたらいいのか?」と、ずいぶん難しい質問です。
 何よりも、ベテランの領域に達し職場でもそれなりの立場であろう方が、大勢の同僚たちの前でご自分の失敗を堂々と披露されたこと。さらに小さなエピソードで済まされがちなことを10年以上も忘れないで来られたことに私はまず敬意を表し、そして「どうか若いナースの方々にあなたの失敗談を話してあげて欲しい」とお願いしました。
 果たしてこんな私の言葉で質問された方の納得になったのだろうかと、実は今もずうっと気にかかり、患者の立場で改めてその状況に思いを馳せています。3日後に亡くなるほどの重篤な状況では、どんなにかしんどかったろう。それでもやっぱり採血は必要だったのだろうか。ひょっとしたら、そんな言葉にならない怒りをぶつけたかったのかもしれない。やっぱりこの場合も「なぜ、その患者さんが怒鳴ったかを考えて欲しい」と、質問した方にお願いすべきだったと反省しています。