辻本好子のうちでのこづち

No.018

(会報誌 1996年6月15日号 No.70 掲載)

医療に“安心・自信・自由”の三要素を

 憲法月間の5月。患者の立場の代弁者として招かれる場で、とくに患者の人権がテーマになることが多かったように思います。専門家でもない私が語れるのは、電話相談に届く患者や家族のなまの声。具体的な不安や不満から浮かびあがってくる揺れる患者の気持ちと医療への願いを届けたいばかりに、身のほど知らずに熱い思いを語りつづけています。

医療では安心と自由は矛盾?

 子どもが暴力(虐待、いじめ、誘拐、性暴力)から自分の身を守るための教育プログラムでは、誰もがSAFE(安心して)STRONG(自信を持って)FREE(自由に生きる)の3つの権利を持っていることを教えています。そして、この権利が奪われそうになったとき「自分を守るために『嫌だ!』と言ったり、その場から逃げたり、誰かに訴えてもいいんだ」ということも教えます。医療の場で患者が“自分らしさ”を守りたいと思ったときにもこの言葉が当てはまる、と私は思っています。
 ある講演でこの3つの権利を引用して患者の願いを語ったところ、質疑応答で一人のドクターに「医療においては安心と自由は矛盾する」と反論されました。つまり患者の安心とは、医療者の判断に身を委ねパターナリズム(父権的温情主義)医療に甘んじること、患者の自由な判断や選択には危険が伴うこと。自由の保証がなければ安心できないのに……、私のなかでは決して矛盾していないけれど、それ以上の言葉にする時間もないまま中途半端な回答となってしまいました。

現代の医療に感じられない“支え”

 かつて私はパターナリズム医療をまるで親の仇のように思っていましたが、最近は単純に全面否定できなくなっています。幼いときに身を委ねた父の大きな懐で味わった温もりが、まさしくこの「安心と自信と自由」だったことを思い出したからです。明治生まれの亡父は頑固で厳しく、まさにパターナリズムが背広を着て歩いているような豪放磊落な人。孫のような末っ子の私にはあまり「ああしろ、こうしろ」とは言わず、見守られている安心と自分のことを自分で決める(妙な)自信と自由を教え込まれました。ただ、ここから先は危険という絶対に踏み込んではならないという領域はつねに明確に示し、もし私が知識や情報のないまま、あるいはいたずら心や怠け心でその領域に足を踏みいれたならきっとからだを張って私を守ってくれたに違いない。そんな大きな“支え”に充たされたことで、十代半ばの別れにもうろたえずにすんだのだろうと思っています。
 パターナリズム医療を思うとき亡父が重なるようになったものの、現状の医療には父のような支えは感じられません。患者の人権が守られるための“三要素”の何かが欠けているからだろうと思います。ただ医療は限りなく不確実で、高度の専門知識と経験が必要なうえに決断が即いのちに直結する問題。それだけにどうしても、患者の立場は弱くならざるを得ません。が、たとえ専門家の判断に身を委ねるしかないときも、その人に委ねていいと思える選択の自由があって初めて安心につながるはず。十分な情報や助言があって、限界も示され、患者にも自由に疑問や質問をさしはさめる保証があって欲しいのです。ソワソワしたりイライラしたりするような不安定な状態で、安心して“自分らしさ”を大切にできるはずはありません。押しつけや拘束を感じない自由のなかで、最終的にこの治療方法を選んでよかったと自分自身の選択に自信が持てるような、そんな医療と出会いたいと思います。安心と自信そして自由でありたい患者の願いに、やっぱり矛盾はありません。