辻本好子のうちでのこづち

No.141

(会報誌 2006年12月15日号 No.196 掲載)

私と乳がん(55)

信頼していた主治医が辞めて動転
なぜ? どうして?

 主治医が病院を辞めるらしい……すでに辞めたらしい……と、時の経過とともに刻々と変化する情報が届くたびに、妙な寂しさと言いようのない不安が募っていました。なぜ?……どうして?……。うらむ気持ちはないまでも、現実が受け入れられず気持ちが大きく揺れていました。「もうあの病院で主治医に診てはもらえない」と思ったときの自分の戸惑いに、改めて主治医に寄せてきた信頼感の大きさを実感させられました。
 初めて主治医と外来で向き合ったときのこと、細胞診や最終病理標本の拡大写真を分かりやすく説明してくれたときのこと、抗がん剤治療で認容性試験というある種の治験に参加すると決めるに至った丁寧なインフォームド・コンセントなどなど。セカンドオピニオンを求めて出会った日からほぼ1年、患者と主治医として対峙してきた印象的な場面が走馬灯のように駆け巡りました。
 手術のあとの化学療法と放射線治療を終え、まだまだしばらくは定期的に外来受診が必要になるであろう私にとって、診察室で向き合う目の前のその人の“顔”に別のドクターを当てはめて考えることがどうしてもできませんでした。乳がんと闘ってきたこれまでの私をすべて知ってくれている人と向き合う安心。一方、不安や苦しさを乗り越えてきたことなど何も知らない人と新たな人間関係を築かねばならない不安。それを考えるだけでしんどくなり、どうにも気が晴れません。べつに恋人と別れるわけでもないのに<何を大げさなことを言っているのヨ?><冷静になりなさい!>と自分に言い聞かせようと努力するのですが、行く先の見えない不安は高まるばかりでした。
 考えてみれば前回の診察のとき、すでに主治医は病院を辞めることを決めておられたはず。ならばどうして、一言の挨拶もなく黙って去ってしまわれたのかしら? あんなに熱心に乳がん治療に取り組んでおられたのに、なぜ急に高機能を備えたこの病院を去る決心をしたのかしら? 多くの患者の信頼が寄せられていたことだって、十分に認識しておられたはずなのに……と、どうしても納得の行かない気持ちがくすぶったまま。苦しい決断をした主治医の気持ちに寄り添い、「ありがとう」の感謝の気持ちも恕(ゆる)す心の余裕もそのときの私にはほとんどありませんでした。

新たな出会いに不安と期待

 常々、講演でも「信頼関係は与えられるものではなく、一緒に築きあげるもの」「双方向性、継続性、役割分担の努力がそれぞれに求められる」と話している私。そして「夫婦や恋人、大切な友人との関係にも似て、長い人間関係をこけつまろびつしながら築いた結果に生まれる、かけがえのない絆」などと語ってきました。そんな私が心から信頼している主治医が、別れの言葉一つないまま突然目の前から消え、離れていってしまったそのことが、どうしても受け入れられなかったのだと思います。
 後日、日本にも腫瘍内科医がポツリポツリと現れ、話題にのぼり始めた頃に医療系雑誌のインタビューで患者としての感想を求められたことがあります。もちろん専門医の登場もさることながら、チーム医療が促進されることにつながるなら“大歓迎である”ことを前提に、「とくに手術をした外科の主治医との関係がうまく築けないで苦しんでいるような場合、患者にとっては何よりの救いになるかもしれません」。「しかし、その関係が良好な場合、治療と向き合う苦痛のうえに、さらに新たな人間関係を築かねばならないことが患者にとって負荷になることがあるかもしれない」と答えています。それはまさに、このときの自らの体験から染み出た正直な気持ちだったと思います。
 そうはいっても、私の場合はCOMLという活動の周辺から少なからぬ情報が入ってきます。だからこそ、揺れる気持ちのなかでもそれなりの心の準備ができるというもの。しかし、多くの場合、患者さんは診察室でいきなりその事実を知らされ、“寝耳に水”といった状況で強い不安に襲われてしまうのでしょう。よくCOMLへの電話相談にも、「主治医がどこの病院に移ったかわからないか? 調べる方法はないか?」といった類の問い合わせが届きます。
 もちろん、患者の意思で主治医を追っかけることは許されていいことだと思います。しかし、転出するドクターが患者を(つぎに移る病院に)誘導するような行為は医療界ではタブーとされているようです。まして私の主治医の場合は転勤でもない、自ら辞表を出して病院を辞める立場であっただけに、黙って去ることが仁義だったといっても過言ではなかったはず。そういった医療現場の裏事情もそれなりに理解しているつもりではいたけれど、やっぱり心底信頼していただけに裏切られたような気持ちになってしまったのです。
 とりあえず予約の入っていた連休明けの外来受診、2003年5月9日の朝。
 診察室のドアに新しいドクターの名前が表示してありました。すでにうわさが広まっているのか、診察の順番を待つ患者の間でも盛んにヒソヒソ話が交わされていました。新しく赴任したドクターについての情報はまったく手に入っていなかっただけに、<どんなタイプの人かしら? 話しやすい人ならいいんだけどなぁ〜>と私の気持ちのなかでも不安と期待が行ったり来たり。そして、ついにマイクを通して名前が呼ばれ、診察室のドアを開けました。

※これは2003年の出来事です。