辻本好子のうちでのこづち

No.142

(会報誌 2007年1月15日号 No.197 掲載)

私と乳がん(56)

新しい主治医に会うたび気持ちは後ろ向きに……
コミュニケーションの基本からミスマッチ

 どんな事情があったのか……何の前触れもなく、主治医が突然病院を去ってしまった連休明けの診察予約日。新しく赴任してきたドクターの情報は何もなく、とりあえず会ってみなければわからないと腹くくりはしたものの、やっぱり内心ドキドキ。妙な胸の高まりを感じながら長い時間待って、ようやく名前が呼ばれました。
 診察室のドアを開けて、カーテンの向こうの顔の見えないドクターに、まずは「失礼します」と挨拶。返事のないまま仕切りのカーテンをくぐると、背筋をピンと伸ばしたドクターの横顔が飛び込んできました。荷物を脇のワゴンに置いて丸椅子に腰掛ける前に、改めてもう一度「辻本と申します。よろしくお願いいたします」と頭を下げて初対面の挨拶をしました。出逢いの初めは互いに自己紹介をすること、それがコミュニケーションの基本と私は心得ているのですが、返ってきたのは「ハイ‥‥‥どうぞ」。

能面の息苦しさ

 かつて講演でもっとも激しい疲れを感じたのは、じつはドクターばかりの会場でした。1時間から2時間、ずっと能面のような無表情の人に向かって話をしても、私の語る想いが届いているのかいないのか、手応えすら感じられないのです。なかには、話し始める前から「患者ごときの話なぞ聞いて何になる!」と言わんばかりに、眉根にしわを寄せて斜に構えているような人もいました。最近は医療界の事情も厳しく、病院も生き残りがかかっている時代です。患者の話もそれなりに受け止める必要を感じ始めているようで、熱心に耳を傾け質疑応答にも活発な意見や感想をいただくようになってきました。
 そもそも医療現場では、好むと好まざるとに関わらず、出会っていきなり患者と医療者は30センチ近く接近する、非日常的な関係を求められます。吐く息まで感じるほどの距離にいる、目の前の“その人”が能面のような無表情だったり、しかめっ面をしていたりすれば、患者の緊張は当然に高まります。まして眉間にしわを寄せて、近寄るなと言わんばかり、まるで心に壁を立ててしまっているようなドクターは論外です。ただ哀しいことに多くの場合、本人には悪気がないというか、そんな表情をしていることさえまったく気がついていないことがほとんどのようですが……。
 そう、私を待ってくれていた(?)新しく主治医になるドクターは、まさにそんな硬い表情の人だったのです。

手術していない患者に興味はない?

 挨拶らしい挨拶もないばかりか触診すらないまま、いきなり「では骨シンチとエコー検査を受けていただきます。いつがいいですか?」。私が手帳を開いてあれこれ迷っている間、オーダリングシステムのコンピュータ画面をじっと凝視。検査日を10日後に決め、「では今日の血液検査の結果も合わせて次回に説明します」と、さらに1ヵ月後の説明のための受診日を決めて、診察はあっという間に終了しました。
 エコーも骨シンチも術後初めておこなう検査でした。1ヵ月後に聞いた結果は、肝臓への転移の形跡もなくすべて異常なし。検査のねぎらいのひとこともなければ、結果が出るまで不安だっただろうと気持ちに寄り添うひとこともありません。淡々と必要最小限の言葉で、異常のなかった結果だけが私の耳をかすめていきました。
 決して外科医のすべてがそうだ、ということではないと思います。しかし、自ら手術した患者のその後に興味は持てても、ほかの外科医が手術した患者にはなかなか関心がわかないものだという複数の外科医の“本音”を耳にしたことがあります。もちろん外科医も人間なのですから、そうした感情に支配されることは自然であり、かつまた、やむを得ないことなのかもしれません。しかし、患者当事者としては納得できることではありません。
 電話相談にも「主治医がコロコロと変わって、親身になってもらえない」「どうしても心が開けない」といった患者の悩みが多く寄せられます。とくに大学病院や自治体の病院では、ドクターの転勤は大学医局の人事であることは周知の事実。つまり自らの意思で望んだ勤務先の病院ではないうえに、長く腰をすえるつもりもないわけです。そうとなれば出会う患者にいちいち感情移入するなど、そもそも望むこと自体無理な話なのかもしれません。

まさに患者それぞれ

 検査結果の説明を受けるための受診の日、待合室で患者同士の会話が交わされていました。そのとき聞こえてきたのは、「私は今度の先生のほうがいいワァ。だって前の先生は聞きたくもないような数字や可能性の低いことまで細かく説明するから、不安になって怖くて仕方なかった」という驚くべき声でした。改めて、一人ひとりの患者がそれぞれに欲しいと願う情報や、こうあってほしいというニーズは、かくも個別的なんだということを痛感させられました。さらに新しい主治医の前任地の患者さんたちが、多数“追っかけ”ということでこの病院に移ってきているという話も耳に届きました。
 <う〜ん、なるほどなぁ……>と妙に納得する気持ちの一方、その後も受診するたびにだんだん寂しい気持ちになっていきました。誰に預けるわけにも行かない生涯の持ち物である“乳がん”と上手くつき合っていくには、「ナニクソ負けるものか!」という気持ちが大切。つまりは免疫力の高まりが、なにより必要だと考えていました。前向きでいたいと願う気持ちが受診のたびに、少しずつ後ろ向きになる自分の気持ちをどうにもコントロールできなくなっていったのです。

※これは2003年の出来事です。