辻本好子のうちでのこづち

No.140

(会報誌 2006年11月15日号 No.195 掲載)

私と乳がん(54)

乳がんに感謝した旅も終わり……
豊かな自然の島で過ごす家族たち

 旅程の2日目にパースから2時間ほど船に揺られ、自然の宝庫・ロットネスト島に渡りました。ロットネスト島には小さなネズミのような有袋動物「クォッカ」が生息し、ラット(ネズミ)のネスト(巣)が訛ったのが島の名の由来。息子がオーストラリアで最初にお世話になったホストファミリーとの再会が目的です。
 ベッカー家は父親が会計士で母親が学校の教師、そして、3人のやんちゃ坊主という5人家族。パースで生活を始めた息子がスタートから4週間、ホームステイさせていただきました。旅の計画を立てる際に事前の連絡をしたところ、私たちが訪ねるころは母親と長男がロスアンジェルスヘ旅行中、父親のマーティンが次男と三男を連れてロットネスト島で5日間の秋休みを楽しむ予定になっていることがわかりました。やんちゃなマイケルとリアム兄弟との再会を強く望む息子の希望もあって、少しは観光気分も味わってみようと彼らを訪ねる小さな旅を楽しみました。
 ロットネスト島は自然豊かな小さな島で、家族が数日間滞在できるキャンプ場が整備されています。船が島に着いたときは到着組と帰宅組の家族で波止場は大賑わい。この島では管理人だけが自動車に乗ることを許されていて、上陸してすぐに目に飛び込んできたのは裸足で自転車を乗り回している子どもたちの姿。私たちを見つけて駆け寄ってきたマイケルとリアムも素足、朝から魚釣りを楽しんでいたと照れながら父親の周りを愉しそうに走り回っていました。
 昼時に着いたこともあって、「一緒に昼食を!」という話になりレストランに向かおうとしたときのこと。マーティンが足元のバケツを指差して、二人に「釣った魚を海に戻しておいで」と指示しました。やんちゃ坊主の2人はじつに素直に父親の言葉に従い、釣った魚に「バイバイ」と声をかけながら海に逃がしていました。マーティンはニコニコとそれを眺めていたのですが、言葉少なにゆったりと向き合っている父と子の姿はまるで映画のワンシーンを観るようでした。日常は仕事が忙しく、なかなか子どもと一緒に過ごす時間がないというマーティン。しかし季節ごとの休暇を利用して、「僕が子どものころに父親にしてもらった通りのことを、自分の子どもにも伝えてやりたい」と語ってくれました。
 キャンプ場には小さなコンクリート造りの小屋がいくつも並び、部屋のなかを覗くと簡素な二段ベッドが置かれているだけ。炊事も食事もシャワーもすべて戸外の共同で、料金は1泊1,000円以下。雨が降ったら、「日がな一日、本を読んで過ごすことも楽しみの一つ」という話を聞きながら、豊かな自然のなかに身を置いて贅沢な時間を過ごす彼らが心から羨ましく思えてなりませんでした。

“人と会う旅”を終えて

 そして3日目は、カフェでゆっくり朝食を楽しみながら絵葉書を書いたり、街行く人の姿をながめて楽しんだり。そして、そのあとは息子のテニス仲間だったロビンにショッピングモールを案内してもらいました。ロビンは27歳、介護福祉の勉強をしているチャーミングな学生で、つい先ごろ婚約したばかりと嬉しそうでした。そしてその日、パース最後の夜はロスを誘ってチャイナタウンで夕餉のひととき。私からの精一杯の感謝の気持ちを贈り、あっという間に3泊5日のパースの旅が終わりました。
 息子との初の海外旅行は、結局、初めから終わりまで「人に会う旅」となりました。帰宅して数日後に届いた息子からのメールには、少し改まった感謝の言葉とともに「つくづく、がんとはラッキーな病気だと思いました。闘う時間も持てるし、あの世に行く準備をする時間も持てるから。脳や心筋の梗塞で、ある日突然、いのちがブチッと切れてしまったら——と考えるだけでゾッとします。口癖のような“がんになってよかった”は、最初、不謹慎だと思ったけれど、いまは僕も心底そう思っています。ロスとマーティン、そしてロビンからメールが届いています。『心から感謝。また会おう、ラブリーママによろしく!』(ロス)『ママによろしく、次はアン(妻)とジャック(長男)にも会ってくれ』(マーティン)との伝言です。——長生きと、休暇の必要性がグッとあがったネ!?」とありました。

信頼する主治医が辞める?

 連休が明け、再び出張続きの日々を過ごしていたころ、山口から「Sドクター(主治医)が病院を辞められるらしいですヨ」との突然の風聞に、抑えきれない驚きと不安に襲われました。
 1年前、セカンドオピニオンを求めて出会ったS主治医は、あらゆる可能性について明確すぎるほど明確に説明してくれる人。もちろん、ときには「そこまで厳しいことを言わなくても……」「そんな、切って捨てるような言い方をしなくたって……」と反発したり、恨めしく思ったりもしました。しかし、抗がん剤治療を受けるかどうかを決めるとき、「いまこそが、患者さんが自分の意志で自分の治療を決める瞬間なんだから」と、十分な説明のあと、急かすことなく私の決断をじっと待ってくれた心から信頼できる人でもありました。
 もし、ほんとうにいまの病院を辞めて別の病院に変わられるのであれば、迷うことなく追いかけて行きたい……。と、思う一方、真摯なお人柄の放射線科主治医への信頼も絶ちがたく、どうしたものかと迷う気持ちで大きく心が揺れました。

※これは2003年の出来事です。