辻本好子のうちでのこづち
No.137
(会報誌 2006年8月15日号 No.192 掲載)
私と乳がん(51)
人生観を変えた乳がん
医療者に向けた講演はもちろん、一般の方々に聴いていただくときも、COMLに届く電話相談を代弁するのが私の役割と任じています。患者と医療者それぞれの“ひとこと”が足らないために生まれるコミュニケーションギャップ。相談の訴えは、ときに被害者意識に陥った患者側の誤解もあれば、いまどき……と呆れるほど傲慢な医療者側の対応などなど。そうした患者・家族からの具体的な悩みや不安を参加者の方々と共有し、患者と医療者が意識改革するなかで「何が必要か?」を一緒に考えていただきたい——そう願って、懸命に語らせていただいています。そのなかで「じつは……私も……」とささやかな乳がん体験を加えた瞬間、会場の雰囲気が微妙に変化し、同情にも似た優しさが、ときには同じ病をもった人からの共感的な励ましが伝わってきたりします。
「私の乳がんは、神さまからのプレゼント!」と、明るく言ってのけて、ある人から「不謹慎!」とお叱りを受けたこともあります。しかし、改めて術後の1年を振り返ってみても、やはり乳がんにかかったればこその決断や選択が数々あり、我ながら<病気のおかげで人生観が変わったなぁ〜>と感じることもしばしばです。その一つが、5月の連休に次男と連れ立って西オーストラリア州の州都・パースを訪ねた『乳がん手術1周年記念の旅』でした。
癒しの旅へ出発!
パースはいまも次男の憧憬の街。1996年に20歳の1年間をもがき苦しみながら過ごした思い出いっぱいの第二の故郷です。「ともかく、これ以上ゆったり過ごせる場所はほかにないんだから!」と彼からの強いおススメ。そのじつ、ほんとうは自分が行きたくてしょうがない気持ちが透けて見えてくるような会話ながらも、「辛い治療、ほんとうにお疲れさま。1年、無事でよかったネ」と素直に喜んでくれる気持ちも伝わってきました。現地の友人、知人に母親を紹介したいと、頻繁の連絡にあたふたしながら大自然に抱かれて過ごす癒しの旅を計画してくれました。
常々、パースの街そのものが、そして、そこで出逢った友達が「僕の人生観を大きく変えた」と何度も聞かされていました。提示されたスケジュールを見ると、およそ観光旅行とは程遠い、しかし人との出会いが大好きな私には願ってもないようなワクワクする計画でした。英会話にはまったく自信はありませんが、なんといってもお抱え通訳付きの旅。言葉に不自由する不安のない贅沢な旅に、改めて“投資”の価値を実感させられる思いでした。4月29日、その日が、まさに“おんぶに抱っこ”の5泊6日の記念すべき旅立ちの日となりました。
人を癒す風 −フリーマントル・ドクター−
パース(PERTH)はオーストラリアの西の都、スワン川の河口に位置する緑豊かな、それはそれは美しい街です。気候は1年を通して温暖で、訪れた5月は紅葉の美しい初冬。飛行時間は約10時間、日本との時差は1時間。到着した早朝5時の外気は7度で、持っていたすべての服を重ね着してもまだブルブル震えました。ところが日が差すにつれて気温は一気に上昇、日中の最高気温はなんと30度を超える真夏の暑さ。日傘をさしていても首筋がヒリヒリと焼けつくほどの強い陽射しでした。
ところが太陽が雲に隠れると、どこからともなく爽やかな風が吹いてきて、火照ったからだを気持ちよく通り抜けます。息子が「パースの人たちは、この風を“フリーマントル・ドクター”って呼ぶんだヨ」と教えてくれました。フリーマントルという町の方から吹いてくる爽やかな風が人々を癒してくれる——という意味なんだとか。そのとき<そう! やっぱりドクターの役割は、この風のように人々を安心させることにあるはず!>と妙に納得し、吹く風のネーミングにも新鮮な感動を覚えつつ、どこかで仕事を引きずっている自分に思わずニヤリ。
まずはホテルにチェックインして、10分ほど歩いてスワン川の川辺へ。大きな木の下で太っちょの陽気なおじさんが営むスタンドでコーヒーを注文したものの、お世辞にも美味しいとはいえない水のような薄味。焙煎の深い濃い味が好きなだけに、1週間こんなまずいコーヒーにつき合わされるのかと心配になり、息子に尋ねると「これは特別ひどい味」といわれて少しホッとしました。ゆったり流れる川面を眺めながら、徐々に開放感に浸っていく自分をなんとも心地よく感じていました。
※これは2003年の体験です。