辻本好子のうちでのこづち
No.088
(会報誌 2002年7月15日号 No.143 掲載)
私と乳がん②
パートナーシップを求めて
セカンドオピニオン
細胞診はマイナス、しかしほぼ悪性の顔つき、だから手術が必要——。最初の病院で受けた、たったこれだけの説明で、私は親からもらった大事なからだにメスを入れるわけにはいかない。そう判断して、ごく自然にとったつぎの行動が「セカンドオピニオン」でした。
良くも悪くも乳がんがポピュラーな「がん」であるだけに、診断も治療も目覚しいほどの日進月歩。乳腺専門外来を設置する病院も増え、学会などでの専門医らの議論はもちろん、インターネット上の意見交換もそれはそれは活発です。おそらくファーストオピニオンに間違いはなかったでしょう。が、しかし、私は、わずかな情報で確定診断を下すというドクターの名人芸、いわゆるファインプレーを期待していたわけではありません。私が納得できるプロセスをともに歩んでくれるパートナーシップ、いってみれば当たり前の“やりとり”ができる人間関係を望んでいたのです。
電話相談で乳がんの相談をお聴きしたり、あるいは医療訴訟準備段階の調査協力で、弁護士が第三者的な専門医の意見を求める仲介の場面に立ち会い、かなり専門的な医療情報に接する立場にもあります。そうした“学習”を通して、突き刺した注射針の位置によっては細胞診がマイナスでも悪性の場合がある、そんな医療の限界と不確実性を承知していただけに、たとえ不十分な説明であっても、さしたる疑問は抱きませんでした。
しかし、キューブラ・ロスの「死の受容」でいえば、多くの場合、ここで最初の否認という感情が患者の気持ちを支配して「細胞診がマイナスなのに、どうして?」と素朴な疑問を抱くでしょう。いいえ、ひょっとすると——何の配慮も感じられない一方的かつ暴力的ともいえる、いきなりの「病名告知」に動揺するだけで、あとで冷静になって考えると当然に浮んでくるはずの素朴な疑問すら思い浮かばない——。
それが現実の患者の心情かもしれません。ほかのものごとと同様、医療も「完璧」「絶対」はありません。今後、私たち患者が、こうした医療の不完全さをどこまで引き受けていくべきか——改めてその重要性を痛感しました。
アイコンタクトで、よし!!
そんなこんなで、すぐにセカンドオピニオンを求める気持ちになったわけですが、どこの病院を選ぶかの最初の判断基準は、(少なくともこの段階においては)やはり通院の至便性を重視することでした。もちろん「医療の質」も大事ですが、正直いって、相性があうかどうかという感覚的なあいまい情報は、実際に診察を受けてみなければわかりません。しょせん医療は人と人の間でおこなう行為です。それだけに相性という問題は、絶対に避けて通ることはできません。
どこの病院というよりも、結局は誰(ドクター)に当たるかによって違ってもきます。それだけに、つぎの判断基準は病院のポリシー、つまり姿勢や方向性でした。セカンドオピニオンということで思い浮んだ病院は、ホームページやメールマガジンを何度も覗いたことがあります。また仕事を通じて管理職の考えや看護現場の努力など、具体的な現場の取り組みといった組織文化そのものに接する恵まれた立場にもありました。
しかし、それ以上に私の決意を強固にしたのは、わずか1年ほど前にその病院で患者体験をした人の「なまの声」というかけがえのない情報でした。じつは6年前、私はその病院で同じ「しこり」を診てもらっているのですが、そのときの担当医とどうやら先輩患者の彼女の主治医と同じらしい——。漠然とした記憶でしたが、彼女と話をするうちに「ぶっきらぼうだけれど患者の知りたいことにはきちんと向き合ってくれる人」という印象が鮮明によみがえり、迷うことなくセカンドオピニオンは“彼”を指名しようと心を決めました。
最初の病院を飛び出したちょうど1時間後。午前11時に二つ目の病院の初診外来受付で、はっきりと「Sドクターの診察を受けたい」旨を申し出て、そして待つこと3時間。ようやく私の名が呼ばれて診察室に入るやいなや、「やっぱり、間違いない、このドクターだった!」という確証を得ました。丸椅子に座りながら「辻本好子と申します。以前にも診ていただいておりますが、どうぞよろしくお願いします」と挨拶すると、カルテに見入っていたドクターも顔をあげて、私の目を見て「はい、どうぞ」。
よし、まずはアイコンタクトに成功!!
日頃、医学生や看護学生への講演で「コミュニケーションの始まりは、まずは目と目を合わせ“こんにちは”から——」と話していることを私自身が実践することとなって、いよいよセカンドオピニオンのスタートです。