辻本好子のうちでのこづち

No.087

(会報誌 2002年6月15日号 No.142 掲載)

私と乳がん①

 突然ですが——、乳がんになりました。
 4月23日入院、25日が手術で、5月2日に退院。そして、7日から仕事に復帰しています。センチネルリンパ節(乳がんから転移したとき最初に行きつくリンパ節)生検と術中の色素検査によって、「勢いのいいがん」が転移していたことがわかり、リンパ節を郭清(病変部分を取り除くこと)する手術となりました。利き腕である右側に多少の支障をきたしてはいますが、とりあえず悪い部分をゴッソリ取ってもらった、いわば大怪我をしたも同じで、ようは日にち薬。リハビリを兼ねながらこれまで同様、おおいに仕事を楽しませていただいております。ただ課題は、仕事との兼ね合いのなかでこれからの治療とどう向き合うか、です。
 5月18日(土)のNPO法人初の総会で、理事長挨拶として一身上の“変化”ということで報告させていただきましたが、今しばらくは与えていただいております役割を精いっぱい励みたいと思っています。なにとぞよろしくお願いいたします。

−プロローグ−

 緊張が解けてホッとしたり、人生の節目などで病気が見つかったりするものだそうですが、まさにその通りでした。昨年は活動12年目で念願のNPO法人化が実現し、心のどこかで大きな荷物を降ろしたような気持ちになっていました。そんな折、昨年暮れに円形脱毛症が見つかったときには、(不謹慎ながら)今回の乳がんの確定診断よりもじつは大きなショックを受けました。しかし、それが「からだ」のシグナルだったようです。皮膚科受診4回目の3月27日。たまたまその日は、さしたる予定もなかったので、人間関係ができてきた女医さんに何気なく「皮膚科領域の問題ではないと思うけれど、ちょっと気になっているのですが——」と胸のしこりを診てもらったことが事の始まりです。
 すぐに外科にカルテが回わって、1週間後の検査予約。マンモグラフィ(乳房レントゲン)、超音波検査(エコー)、細胞診など基本的なメニューが用意されました。そして、5日後に検査結果が揃い、「細胞診はマイナスですが、あとはほぼ悪いものと断定できる状態。手術しかないでしょう」。大きなマスクで目しか見えない外科外来のドクターの淡々とした説明を聞きながら、<オッ、ついにおいでなすった!!>と、妙に冷静に受け止めている自分を感じていました。そして、間髪いれず「セカンドオピニオンを求めたいので、レントゲンの貸し出しと紹介状を書いていただけないでしょうか?」とお願いしました。
 「わかりました。写真はお貸ししますが、必ず返却してください。紹介状の宛先はどなたにしますか?」と問われ、「今すぐ、どなたと特定できないので、宛先のない紹介状をお願いできないでしょうか?」と言うと、これまたあっさり「わかりました」。大きなマスクの外科医は内心、こんな扱い難い患者はとっとと他へ行っちまえ——と思っていたのか、はたまたセカンドオピニオン推進派だったのか——、真意のほどはつかみきれませんでした。
 レントゲン写真と密封された紹介状を携え、その足でCOMLに駆けつけました。先に「悪い結果が出た」ことだけ電話で知らせておいたのですが、妙な緊張を逆に私に強いることのない配慮が漂い、静かに私の帰りを待っていてくれたことがなによりホッとしました。そして、私が知りたいと思う(であろう)あらゆる情報を、すぐにも集められる準備万端の体制が用意されていました。贅沢なほど見事な支援体制のもとで数分間のやりとりの後、私は迷うことなくセカンドオピニオンを求めるべく二つ目の病院に向かいました。
 いやはや、じつに忙しい一日でした。
 12年間「賢い患者になりましょう」と唱えつづけてきた私が、ほんとうに賢い患者になれるのか。どこかで試されているような今回の体験ですが、気づいたことなどを中心に、しばらくあれこれつづってみたいと思います。