辻本好子のうちでのこづち
No.074
(会報誌 2001年4月15日号 No.128 掲載)
“サービス”に対する認識のズレ
できれば受けたくないのが医療サービス
厚生白書(平成7年度版)が医療を「サービス」と定義して6年が経過。大所高所に背を押されたわけではないけれど、最近とみに医療者にサービス精神を求める患者の期待が高まっています。しかし6年前も、もちろん今も、医療者たちの多くが「サービス業」と呼ばれることに強いアレルギー反応を示します。医療者が他のサービス業に従事する人たちとまったく違う認識のまま患者と向き合っているかぎり、患者の期待と一致するはずはありません。
患者が40年近い“受け身”で身につけた期待は、「結果は良くて当たり前」「医療者は親切、丁寧、親身のはず」「絶対に裏切られない」という安全神話。ところが連日のミス・事故の報道による不信感から権利意識を高め、さらには経済低迷に追い討ちをかける医療費の自己負担増でコスト意識にも目覚めはじめた患者たちは、支払った分に見合うだけの安全・安心・納得を手に入れたいというさらなる期待を大きく膨らませています。そもそも医療は、できれば受けたくないサービスです。決して望んで求めているわけでもなく、どうしようもない不安や苦痛を抱え、仕方なく病院に足を運ぶのですから、せめて「受診してよかった」と思いたいもの。しかし残念ながら、そんな患者の気持ちを念頭において医療者が対応(サービス)しているとは思えません。両者の認識のズレは、簡単に埋まるものではないようです。
患者満足度を充たす「チーム医療の確立」を!
人をもてなす「サービス」は形のない、目にも見えない心に残るもの。しかも受け手の満足度を簡単に計測できないばかりか、測る尺度もありません。いくら提供者が良質なサービスと思っていても、受け手には押しつけになったり、ありがた迷惑としか感じない自己満足ということもあります。つまり生半可な強制で伝わるものではありません。「このサービスを受けてよかった」と利用者が感じて、はじめて意味や価値が生まれます。
旅客機の客室乗務員や高級ホテルのフロントマンは、どんなわがままな個別なニーズにも最後までしっかりと向き合う“覚悟”が要求されます。自分の言い分が無視されたり、高見から操作・介入されたりしたら、客は「つぎからは別の飛行機に乗ろう」「二度とこんなホテルに来るもんか」と思うでしょう。そう思われてしまったらサービスマンとしては失格です。まずは相手の人格を尊重したえうえで、要求にしっかりと耳を傾け、無理難題の限界を説明し、別の選択肢を示す、そんな誠実な対応が「最高のサービス」とされます。
医療でいえば、向かい合った目の前の医療者から、つねに患者のニーズを意識して良い医療を提供しようとする姿勢が感じ取れるかどうか。患者の安全確保、わかりやすい説明、患者の自発的な同意を得るための努力、さらにはセカンド・オピニオンの支援など、そうした医療者の対応があれば患者の満足度は上がるはず。しかし、限りなく個別的で多様なニーズをたった一人の医療者で充たせるはずはないのですから、なにより「チーム医療」を確立することが急務です。危機を共有し、多様なニーズに向き合う“力”が備わっていれば、患者の満足度は間違いなくアップします。
まずは患者と医権者の「サービス」に対する思いが、どこですれ違っているのか、どこで共通するのかをともに考えること。そして、医療者一人ひとりの技量や人間性、組織の理念やシステム、制度疲労を来している保険制度など、「医療サービス問題」にも多軸的診断が必要です。