辻本好子のうちでのこづち
No.016
(会報誌 1996年4月15日号 No.68 掲載)
“ドクター”“ナース”と表現する「わけ」
本紙を発送した数日後に、毎月決まって季節の言葉と短い感想を送ってくださる読者S氏のハガキに「知識階級の投稿者が多いせいか立派な日本語があるのに、わざわざのカタカナ(例えばドクター、ナースなど)や専門用語の使用が散見。浅学非才の大正人間は辞書の厄介になることたびたび。どうしてもそれでないと表現できないときには初出で注釈いただければ手間が省け、ありがたい」と書かれていました。そこで今回は、なぜ私がドクターと表現するようになったかの「わけ」を遅ればせながら述べさせていただきます。
「患者と医者」に強い反発
COMLの活動をスタートした当初。医療現場に向かって生意気なことを言う団体という色眼鏡で、とくにドクター集団からは無視されるかあるいは敵対視されていたように思います。ところが急激な時代の流れのなかで日常の一般診療でもインフォームド・コンセントの必要性の声が高まり、そうした時代の波に支えられてCOMLの存在も少しずつ認められるようになってきました。その後わずかながら、医療者の研修会や学会での発言やいわゆる業界誌(紙)への寄稿など、患者の声を代弁する機会が与えられるようになりました。
そうした折々、医療現場の人間関係に触れ「患者と医者」という表現をするたびに、妙な反応が返ってくることに気づきました。とくに医療者を目の前にした場で口にすると、会場に緊張が走り、厳しい眼差しが向けられたものです。それまでは「ナールホド最近の患者たちはそんなことを言うようになってきたか」とおおらかに受け止めてくれていた雰囲気が、そのひと言で急変。心を閉じ、聞く耳さえ持てなくなってしまうようでした。
また、ある医学関連の雑誌編集者が私の原稿に目を通し「医者を医師に書き直して欲しい」と、厳しく指示されたこともあります。つまり医者という表現は読み手である「先生方に失礼なこと」。業界の慣わしや常識にうとい無知な私が、あまりに無邪気なまま、彼らが守り続けてきた約束事を破ってしまったことに呆れ、強い不満を抱いてのお叱りだったように思います。
初めはこうした反応にとまどうばかりでしたが、医療現場の人々にとって少なくとも患者・市民の立場から医者と呼ばれることは“あってはならないこと”なんだと、少しずつわかってきました。当然に「医師と患者」と表現されるべきはずの目の前で傍若無人に医者呼ばわりされ、無意識の拒否感が会場の空気までをも一変させてしまうのですから、たかが言葉だけの問題とも思えません。
上下関係のないカタカナ表現で
「患者と医者」という表現は、医者が患者を背負っている姿を意味するという人の意見もありますが、医療における両者の関係性はあくまでも対等で水平な共同作業。文字や言葉のうえでも患者が“者”なら医者も“者”でいいはずではないでしょうか(薬剤師は?のカゲの声あり)。「医者と医師」にどれほどの違いがあるのかは知らないけれど、医療現場やその周辺の反応は相も変わらず前近代的。いまだ医者と表現するたびに対立的で感情的な反感が返ってきます。そのつど私のこだわりを説明する余裕のない場合がほとんどで、ずいぶん消耗させられる思いを味わっています。
その点「ドクター」というカタカナの表現には上下の関係はありません。カタカナ表現をするようになって以後、そうした摩擦は一切なくなりました。大正人間とおっしゃるS氏のような世代の方々には多少、耳障り、目障りかもしれませんが、こうした「わけ」があってCOML誌では「ドクター、ナース」に統一しています。