辻本好子のうちでのこづち
No.005
(会報誌 1994年12月15日号 No.52 掲載)
非現実的な“チーム医療”
医学生・看護学生の全国的な組織が毎年8月、各地持ち回りで『医学生ゼミナール』を開催しています。37回目の開催地は、記録的な猛暑を誇る名古屋。若者の祭典らしく、路上パフォーマンスまで加えたユニークな企画が目白押しの4日間。私は初日のメイン企画の『チーム医療』をテーマにしたシンポジウムに患者の立場で参加しました。
浮き彫りになった医療者間の認識のズレ
名古屋大学キャンパスの講堂には「医療現場の現状」や「チーム医療の可能性」を探り出そうと、全国各地から熱心な学生500人余が集まっていました。シンポジストとして最初に指名を受けた私は「チーム医療は時代の要請なのに、実際に取り組んでいる病院はほとんど見当らない」という、私たち患者の目に映っている現実を語りました。
患者の価値観の多様化による医療ニーズの変化、そして、旧態依然のパターナリズム(父権的恩情主義)的医療とのズレから生ずるコミュニケーションギャップの相談例をいくつか報告しました。さらにドクターとナースの厳格な上下関係と連携の悪さの狭間におかれ、いかに患者が切ない気持ちになるかを代弁し、さらに患者の望むインフォームド・コンセントについて私見を述べた上で、若き未来の医療者へ熱いメッセージを届けました。
続いての医大ドクターは、医療現場の最高責任者として見事なまでに権威的な立場に徹し、「そもそも医者は患者から“モテる人”でなければならず、信頼されることが当然。分業による役割分担で一人の人生を受け止められるか?」と、真っ向からチーム医療に対する疑問を呈されました。
一方、総合病院の看護部長は「ドクターの指示がなければ医療行為ができない」現実のジレンマを憂い、指示の仰ぎ過ぎとドクターのわがままを受け入れ過ぎていることの反省を語り、最後にジレンマから立ち上がるためには「ドクターにノーと言える権利の確立を」と訴え現場での対立構造が浮き彫りになりました。
薬学部の教授とケースワーカーからは、専門的役割に対して医療現場の認識や関心の低さの嘆きと、いかにチーム医療の実現が困難かつ非現実的であるかの報告がなされました。恐らく医学生や看護学生にとって、医療現場の現実を知るまたとない機会になったことでしょう。
患者が求めているのは医療者の支援
5人の発言が一通り終わった段階で突然、「今日のテーマの主役は患者。これまでの発言に対して感想を一言!」と私はコメンテーターから発言を促されました。医療者集団に囲まれた私はそれまで大変心細い思いをしていたのですが、この一言に大きく支えられ「患者の代弁者」の役割に徹する勇気を与えられたような気がしました。
そこで「パターナルがなぜ悪い」というかのような、ドクターの開き直りとも思えるような発言に改めて距離感を感じたこと。ナースの「拒否権の確立」が患者の自立を支えきるためではなく、単に看護専門領域を守るドクターヘの対抗であったことなど、発言者の議論はまったく噛み合わず、置き去りにされたような気持ちになったこと。そして、患者の望みは「結果として医療全体で癒された」と感じたいことなどを率直に述べました。
私がこんな遠慮のない発言ができたのは、コメンテーターの見事なサポートがあったからに他なりません。現実感を伴わない「チーム医療」の現状の中で患者が何よりも求めているのは、患者が勇気を出せる医療者からのこうした力強い支援そのものであることを、改めて痛感させられました。