辻本好子のうちでのこづち

No.006

(会報誌 1995年1月15日号 No.53 掲載)

エイズ問題から「共感・支援」を考える

 横浜で国際エイズ会議が開催された昨年の8月。東京永田町の砂防会館で開かれた『永田町発→感染者経由アナタ行き』というエイズのシンポジウムに発言者の一人として招かれました。第二部のエイズ患者の診察拒否の問題のセッションで、とくに私が発言を求められたのは「一般論として、医療現場における患者の権利がどう守られているか?」の現状を語ることでした。

エイズ患者の発言に会場は騒然

 少し早目に着いた会場では、第一部『何なんだ、LIVING WITH AIDS』のパネルディスカッションが盛り上がっている最中でした。ヤングエイズミーティングの10人の学生が、既存のエイズ関連のボランティアグループを訪ねて活動参加を希望したところ、ほとんどのグループの窓口で「就職活動のポイント稼ぎ?ボランティア活動という美名の自己満足?どうせ稀薄なモチベーション(動機)で、直接患者にかかわれるはずもない。試験だデートだと言っては逃げ出すに違いない」と決めつけられ、“厚い壁”にはばまれた体験や垣間見た裏事情、追い返された様子などが生々しく報告されました。
 ちょうど私の目の前に舞台で話題に上がっているボランティアグループのメンバーらしき3人の女性がいて、足や腕を組んで彼らの言葉に反応しながらボソボソしゃべり続けていました。ときどきわざとらしい笑い声を上げ優越感に浸っているような態度に、私は腹立ちを禁じ得ませんでした。
 ところが、学生たちがお互いに意見を交わし自分たちの足りなさも反省し終わった頃、突然、会場からエイズ患者を名乗る若者がマイクを握って「君たちが門前払いを喰ったボランティア団体は偽善者の集団で、彼らの活動こそ単なる自己満足でしかない。ただ……人の気持ちなんてどうだっていい。どうせ性感染者への差別意識は、とくに日本人には根強いんだから。 HIV感染者やエイズ患者の僕たちが希望することなんて、ことごとく贅沢だ、生意気だと言われるだけ」と本音が飛び出し、会場は一瞬騒然となりました。続いて「僕たちが人間らしい生活をしたいと思うことも何一つ認めようとしないで“善意”を押しつけるだけ。何の期待も持てない」と、感染者や患者がボランティアグループから離れてしまっている現実を突きつけました。

衝撃を受けた自立的で真剣な姿

 かの女性たちはいつの間にやら居ずまいを正し、身を固くして患者と名乗る男性の声に聞き入っていました。その後、会場のあちこちから自ら感染者や患者を名乗る日本人やフィリピン人の男性が我も我もと立ち上がって、発言し始めたのです。彼らは優しさや思いやりという価値観の押しつけを拒み、プライバシー保護や経済的サポートの早急な法制度の整備を要求しました。
 エイズ問題を話し合う中で重要なことは、まずは対等な人間であることの自覚。そして、正しい情報をもとに一人ひとりが判断能力を養うことなど、当事者から「どうして欲しい」を具体的な要求として語られたことに私は大きな衝撃を覚えました。その見事なまでに自立的で真剣に生きようとする彼らの姿勢から、改めてボランティアのありようや「共感や支援」をすることの意味を考えさせられる思いでした。
 エイズ問題を身近な問題に置き換えてみることで、私たちの無意識下に潜む差別感、そして、自立と自律あるいは依存の問題などが見えてくるのではないでしょうか。今後、COMLでもおおいに議論したいテーマと思っています。