辻本好子のうちでのこづち
No.170
(会報誌 2009年5月15日号 No.225 掲載)
これからの医師育成に患者のボランティア精神を!
ごく近い将来、患者の立場の私たちが「医学教育」に参加する(させられる?)日がやってくるかもしれません。いうなれば、ようやく“当たり前”の市民・患者感覚が医学教育の場にも届けられるようになる、ということ。もちろん条件つきではありますが、医学教育における新たな取り組みを私は前向きに受け止めたいと思っています。
卒前教育の見直し案が急浮上
文部科学省と厚生労働省合同で開催された「臨床研修制度のあり方等に関する検討会」の議論で、医学部卒後研修を一律2年にするだけでなく、1年もありと新たな流れ。そのなかで、在学中の医学教育のあり方を見直し、改善する必要性が急浮上。医学部卒業前と卒業後を“一貫して見通す”教育がどうあるべきかの議論が必要と、文科省の「医学教育カリキュラム検討会」が2月に発足。委員の一人として参加し、全7回の過密スケジュールで提言をまとめて4月13日に終了しました。
ご存知のように医学部と薬学部は6年制で、新たな医師養成システムとして2004年から2年間の臨床研修が義務化されました。つまりドクターを育てるために「6年+2年=8年」に国民の税金が投入されているのです。新しい研修制度が始まって、研修医たちに将来の進路選択の決定に時間的余裕ができて慎重になったのか、単なる甘えの構造に身を置くだけなのか、卒業段階で将来の進路(何科のドクターになりたいのか?)が明確に描けない学生が増えていることの指摘も。臨床研修のあり方以前の問題として議論が紛糾し、早々に検討会がスタートしたというわけです。
6年間の医学部の教育システムは簡単に説明できるような内容ではなく、じつに複雑な仕組みです。しかも大学の自治ということで、それぞれの大学に任される部分も多く、教育内容の格差が大きいことも問題のひとつ。6年間の医学教育が実りあるものとして、卒後につながるためにも、たとえば5〜6年生からおこなわれる臨床実習の単位数を最低必要数として法令で定めることが必要という意見が交わされました。
現在、多くの医学部で、医学生の臨床実習に、2005年から本格実施されている共用試験の合格を必須としています。共用試験とは、コンピューターによる試験(CBT)とCOMLもSP(模擬患者)として参加・協力している客観的臨床能力試験(OSCE)という2種類の試験です。医学部4年生でおこなわれる共用試験に合格することが、医療現場で患者を対象に臨床実習するための、いわば仮免許のような位置づけにもなっているのです。
2ヵ月の議論を経てとりまとめた「基本的考え方」の項に、臨床実習について「単なる技術の習得ではなく、直接に患者と接しながら診察に関する思考力(臨床推論)などの習得を目的とするもの」「患者の全人的理解や、明日の医療を担う使命感、患者をはじめチーム医療の構成員とのコミュニケーシコン能力などが必要」と位置づけ、専門教育の早期化の必要性が謳われました。
強調した「患者の理解」を求める現場の努力
とくに議論が白熱したのは、学生の実地臨床教育のあり方について。つまり共用試験に合格して臨床実習生として医療現場に出向いた5〜6年生の医学生が、これまでは見学しかできなかったのに、これからは直接に患者の診療に関わる新たな取り組みをスタートさせようという内容。ただ、具体的にどこまでの医療行為をおこなうかについては言及なされませんでしたが、いままで以上に患者の診療に踏み込んで医学生の自覚と意欲を高めようという狙いです。
患者の立場として議論に参加するなかで、もし医学生の実地臨床実習という新たなシステムをスタートさせるなら、いかに患者や国民の理解を求めることが必要かを何度も発言しました。一時ほどではないまでも、まだまだ根強い医療不信にどう向き合うか、何かあっても逃げないだけの覚悟があるのかなど、検討委員各メンバーに少しでも患者の現状を理解してもらいたい思いで繰り返しました。
発言するなかで何より必要なことと強調したのは、まずは国(文科省)が新しい医学教育のあり方について国民の理解を求めるために十分な説明責任を果たすこと。医学生が診療行為をおこなうことの必要性やその背景、たとえば医療現場で医学生を指導する教育体制がどのように整備されるのかなど。また、その背景を患者が十分に理解・納得して協力・参加するためにも、医療現場の臨床指導医が、いままで以上に患者への説明を尽くす必要性。そして、臨床指導医の医学生の評価に加え、たとえ主観的評価になる問題を合もうとも担当の医学生を患者が評価するという患者の参加・協力が必要不可欠、などなど。電話相談に届く患者や家族の想いを代弁しつつ、患者としての願いを込めて発言しました。
そうした医学教育の一部分を変えようとするだけで、じつは大きな財源が必要になります。たとえば臨床現場の指導体制のさらなる充実・整備には、指導医の増員、業務拡大のための報酬増、あるいは指導医の業務支援体制整備のためにドクターの雑務を補助する事務職員の配置も必要になるでしょう。そうした財源をどうするか、そんな問題を理解することが、国民・患者が広く医療全般を理解し、抱える今日的課題にともに目を向けていくことにもなるでしょう。患者がいま以上に医学教育に協力・参加することで、信頼関係の再構築や、穏やかな気持ちで医療の限界や不確実性を引き受けられる患者へと「患者の意識改革」にもつながるのなら、新しい教育システムにも希望が持てるような気がします。