辻本好子のうちでのこづち

No.158

(会報誌 2008年5月15日号 No.213 掲載)

後期高齢者医療制度 いまごろ大騒ぎするなんて!

昨年のフォーラムは早過ぎた?

 いったい「情報」とは何なのか?
 どうすれば必要な人に正しく届くのか?
 それは、どんな形で誰に届けばいいのか?
 結果だけでいいのか?
 それとも議論の途中の詳しい経過も?
 しかし‥…
 ただ「情報」は、ありさえすればいいものなんだろうか?
 今年3月末頃から突然降ってわいたようにマスコミが大騒ぎしはしめた『後期高齢者医療制度』問題。一連の報道を見たり聞いたりするたびに、内心忸怩たるものがあります。
 ご存知の方も多いと思いますが、昨年のCOML医療フォーラムで先取りの意味も含めてこの問題を取りあげました。1年後にはこの制度が始まるという時期であったにもかかわらず、地元各メディアや自治体にも開催通知を送ったもののほとんど反応はありませんでした。何人かの記者は「こんな制度ができたなんて知りませんでした」「不勉強で……、どういうことですか?」と無責任な反応。制度・仕組みの中身づくりを担当する厚生労働省(以下、厚労省)の課長がパネリストとして参加し説明をするというのに……です。
 当然ながらフォーラムの参加者も非常に少なく、いま思えば、やっぱり少し早かったのかもしれません。もしや今年のフォーラムをこのテーマで開催したらさぞや……と思うと、とても残念でなりません。1年前で十分だったかといえば、それでも遅いぐらい。だからこそ、やっぱり今年では遅く、せめて「情報」を共有するためにも昨年の開催が必要だったといまも思っています。

マスコミも行政も無反応

 法律が改正される場合、国会で法案が通ったあとの中身を作るのは各省庁の仕事です。2006年6月に医療法改正(悪?)法案が国会を通過した4ヵ月後の10月から、厚労省に社会保障審議会医療保険部会「後期高齢者医療の在り方に関する特別部会」が設置され、9人の委員のうちの一人として私も議論に参加しました。もちろん毎回の議論の中身も最終報告書もすべて厚労省のホームページで公開されていますが、興味・関心を抱く人は極わずか。やはりマスコミが取りあげない限り、多くの人々への周知徹底にはつながりません。最終報告書をまとめた2007年4月11日まで、計7回の検討会が開催され議論を重ねました。
 委員に任じられた当初、私も議論の中身の何たるかについて、正直、あまりよくわかっていませんでした。ただ検討会のスタート時から、『後期高齢者』という名称そのものが人生の先輩である高齢者の方々に失礼ではないかと率直な想いを伝えました。しかしすでに名称は決定済みのこととして、私の意見はほとんど無視されました。さらに議論が進むうち、制度の説明を聞けば聞くほど事の重大さがひしひしと伝わってきました。当時、講演先で医師会関係者に確かめてみましたが、ほとんどの医療者にも認識されていませんでした。
 そうした実情をあちこちで確認したのちに議論のなかで、私自身の無知を棚にあげながら、それ以上に世間一般にほとんど承知されていないことを繰り返し主張。そして、少なくとも2008年4月からの制度スタート時に当事者になる(当時73歳以上)方々に少しでも早く、わかりやすい情報を提供して欲しいことを繰り返し訴えました。しかしこれもまた、中身が決まってからと、取りあげてはもらえませんでした。
 居ても立ってもいられない想いから、2007年5月開催の「COML医療フォーラム2007」で、ダイレクトに制度名を前面にテーマ設定しました。駄目で元々と依頼した厚労省から、経過説明をするために異例ともいえる保険局医療課長の直々のお出ましも取りつけることができました。にもかかわらずメディアも自治体も驚くべき反応の鈍さで、結局、COMLだけが騒いでいるような空回り状態で終わり、目論見は大きく外れてしまいました。
 しかしその後も私は、地域市民向けの講演に招かれたときには必ず話題に織り込んで説明をしました。平日の午後の開催となれば、参加者はおのずと制度の当事者に近い年齢の方々。すでに当時、一人当たりの平均保険料は概算6,200円と試算もされ、しかも年金からの天引き、管轄は広域連合であることも決まっていました。そんな話を聞いて驚いた方から、講演終了後にいくつもの質問をいただいたことを昨日のことのように覚えています。

さらに無責任な国会議員

 このたびの突然と言ってもいいようなマスコミの動揺と混乱のなかで、COMLのフォーラムに参加した方や講演で私の話を聞いた方々は、多少とも心の準備ができておられたことを耳にしています。それだけに「情報」の大切さ、伝え方の難しさ、受け止める側の理解力などなど、改めてその困難性と重要性を痛感させられてしまうのです。もちろん「情報」がどうあるべきと、正解も完璧もない問題でもあります。それだけに冒頭の愚痴にも似た独り言をブツブツとつぶやいている今日この頃なのです。いまさらながらではありますが、議論の途中の情報でもいい、せめてCOML会員の皆様にはもっとお知らせすべきだったと反省しています。
 2006年6月、数の論理でごり押しした医療制度改革ですが、賛成に回った“小泉チルドレン”が「当時は、よくわかっていなかった……」とインタビューに答えている姿を見ると、ただただ呆れるばかり。また野党も野党で、法案成立後に何も発言してこなかったのに、選挙戦を意識してか、格好の攻撃材料とまるで鬼の首でも取ったような大騒ぎ。これまた、ただただ、あんぐりさせられます。規制改革を唱えた小泉さんの置き土産は、このほかにいくつもあり、その一つである2011年スタート(予定)の『社会保障カード』も検討委員として議論に参加しています。次回は、その議論の途中経過をご紹介させていただきます。