辻本好子のうちでのこづち
No.153
(会報誌 2007年12月15日号 No.208 掲載)
私と乳がん(67)
指のこわばりが消え、気持ちにもゆとりが
悩まされていた指のこわばりが服用中のホルモン剤の副作用ではないかとの疑いから、同じ成分ながら別の薬に変えてみようと新たなホルモン剤が3ヵ月分処方されました。そして、その薬を服用した直後から、みるみるうちに症状が消えていきました。こわばりを自覚するようになってからほぼ半年、ようやく「安心と納得」にたどり着くことができました。しかし、果たして、新たな薬が「安全」であるかどうかはまったくの未知数です。
なかなか普及しないジェネリック
新たに処方された薬はいわゆる価格の安いジェネリック、つまり使用成績調査などの副作用発現頻度が明確となるような調査を実施していない薬なのです。もちろん悪い細胞の増殖を抑えるという効能は同じですが、先発品とは添加物など多少成分が異なることが明らかな薬。市販後の調査もないとなれば、当然ながら効果や副作用についても確たるデータがないということ。ジェネリック薬を選ぶということは、患者がそうした条件すべてを引き受けたうえで服用するというある種の覚悟が求められることにもなります。
それだけに患者には、十分に納得のできる情報や説明が必要になります。しかし、そもそもの情報が不十分という理由で、臨床現場の一部に根強い不信感やジェネリック処方に二の足を踏むドクターがいるという風聞も聞こえてきます。医療サイドの躊躇が真に患者のためを思ってか、はたまた保身の思いからなのかはわかりませんが、なんとなく理解できるような気もします。
もし仮に受け持ち患者に処方した服用後に添付文書に記載のない症状が出たとしても、それが副作用であるかどうかさえわからないわけです。「データがない」の一言で、責任所在がうやむやになってしまう。そんな薬を使うよりやっぱり先発品のほうが安全とこだわってしまうのも道理かもしれません。とはいえ現在、ドクターの認可さえあれば、処方箋を持参した薬局で薬剤師と相談しながら患者がジェネリックを選ぶことが可能になっています。
厚生労働省は数年前から医療費削減を目的に後発医薬品の普及を謳っていますが、なかなか思うような成果はあがっていないようです。その背景には、理由はともあれ処方権を持つドクターサイドの理解が十分に得られていないことに大きな原因が潜んでいるとのこと。今後の方向性としても厚生労働省主導によるジェネリック普及の大号令が叫ばれることになるでしょう。だからこそ患者にとって大切な「安全」を保障するデータ集積などの環境整備の充実、そして私たち患者が少しでも「安心、納得」して服用できるような情報開示が急務であると、改めてジェネリックを服用する身として痛感させられています。
病のおかけで甘えも会得
2005年12月20日、その年最後の受診日。
指のこわばりもすっかり消え、この日の血液検査のほとんどは模範的正常値。それまでは、いつも危険という「P(poor)」や低い値を忠告する「L(low)」が書き込まれていた白血球数も改善。あいかわらず低血圧であることと多少の貧血傾向はあるものの、両乳房やリンパの触診もまったくの異常なし。ほんとうに「おかげさま」の回復で、術後3回目の正月を迎えることができました。
この頃、すでに仕事のペースは完全に術前の状態に戻ってはいましたが、以前に比べて人に甘えることを自分に許せるようになっていました。たとえば出張先で時間的な余裕があれば美術館に寄ったり、映画を観たり、腰痛予防のマッサージに行ったりすることに迷いがなくなっていたのです。じつは、それまでは、事務所のスタッフや電話相談のボランティアの皆さんが一生懸命仕事をしている時間なのに……私だけリラックスさせてもらっていいはずはないと、誰に科せられたわけでもないのに自らの行動を規制していました。そんな話を山口にして叱り飛ばされた(山口註:非常に語弊があります(笑)「気にせず休めるときに休んでください」と言ったはずなのに……)こともありましたが、なんと言われようともやっぱり遠慮の気持ちが先にたつ私でした。
しかし、病を得てからはすっかり人に甘えることを覚え、ストレスをためないためと自分にも言い聞かせて上手に時間をやりくりしては、出張先でもおおいに気分転換を味わわせてもらうようになっていたのです。無意識無自覚の規制という日々の積み重ねが、体内に潜んでいたがん細胞を増殖させる大きな要因になっていたのかもしれません。甘えを会得するとともに、そうしたことを気づかせてくれた乳がんに素直に感謝する気持ちなっていました。
なにやら思いつくと自分の気持ちをしたためるノートに、2005年末の日付とともに残っている少々気負った一文。そこには、そんな想いの片鱗が見え隠れしています。
『私が無駄に過ごした今日という一日は、昨日死んだ人が痛切に生きたいと願った一日。私にできることはなんだろう、たいしたことなどできないかもしれない。しかし、乳がんに罹患して多くの友に支えられたことは決して忘れまい。なかったことにしてしまわないように感謝とともに、この想いを守り続け、与えられる役割を誠実に努め、これからも一日一日を大切に過ごしたい。病があるにもかかわらず新しい年を健やかに迎えられたことに感謝! 来年も、気持ち爽やかに、心安らかに、少しでも肩の力を抜いた自然体で、楽しいことをしっかりと楽しもう!』
※これは2005年の出来事です。