辻本好子のうちでのこづち
No.135
(会報誌 2006年6月15日号 No.190 掲載)
私と乳がん㊾
うつ状態から抜け出したオーストラリア旅行計画
2003年、新しい年を迎えても一向に晴れ晴れしい気分にはなれませんでした。暮れに放射線治療を終えて一区切りはしたものの、鏡に映る姿は紛れもないがん患者そのもの。いま思えば、この頃がもっとも強いうつ状態に陥っていました。
治療が終わって闘う相手を失い……
4月の手術以降、夏の間は抗がん剤治療、そして暮れのひと月間、毎日続いた放射線治療。こうした一連の治療に身を置く渦中は体内に潜む“乳がん”を敵と意識し、治療がどんなに辛くとも<闘うぞ!>と気持ちを奮い立たせることで、自分自身をも支えていたように思います。ところが一連の治療が終わったとき、周りで心配してくれていた友人知人から「お疲れさま」「終わってよかったネ」とねぎらいの言葉が届き、感謝の想いで受け止めはしたものの、正直、足元の定まらない不安定なザワザワした気持ちでした。
しかし、正月休暇が過ぎれば、アッという間に忙しい仕事の日常が戻ってきました。びっしり手帳に書き込んだ予定を一日一日丁寧にこなす一方で、何の治療を受けるでもないひと月あまり、心のなかに大きな穴がポカリとあいたまま……。どうやってそれを埋めたらいいのか、途方にくれるばかりでした。放射線治療後の次回の外科外来受診は1月24日の予約。約1ヵ月の治療の空白が、拠りどころを見失い、闘う相手からも見放され、放り出されてしまったような、心もとない気持ちの原因だったのかもしれません。一緒にいるべき人を見失った迷子のような、強い孤独と不安に襲われた日々がつづいていたのです。
馬面のニンジンが格好の治療薬
昔から私の行動パターンは「馬面のニンジン」。そんな行動分類があるのかどうかは知りませんが、要は目の前に明確な目標がぶら下がっていないと前に進めない、自分の行動が不安で仕方がないという見かけによらない小心者。治療の空白で、どんどんうつ状態に陥っていく自分を<なんとかしなくては!>と懸命に踏みとどめようとするのですが、目標らしきものは何も見えてきません。弱っていく自分の気持ちとあらがうなかで、<そうだ、新しいニンジンをぶら下げてやればいいんだ!>と思い立ちました。
暮れにフラリと「窓ガラスでも拭こうか?」とやってきた次男と夜遅くまでしゃべるなかで、5年前の彼のオーストラリア留学の思い出話が登場。そして、一緒に行ってみたいという話で盛りあがりました。じつは彼が滞在中に一度ならず訪豪の計画が持ちあがったものの、どうしても都合がつかず断念したという経緯がありました。そのときの気持ちを振り返ってみたり、彼の貴重な思い出話のあれこれを聞くうちに、もし再発も転移もなかったら術後1周年記念に行こうか……と、現実味を欠いた話で終わっていました。そのときの話の展開は<再発・転移がないように!>と願う気持ちが中心で、なかば夢物語のように語り合っていた話でしかありませんでした。
新しいニンジン……それを次男とのオーストラリア旅行にしようと決心するまでに、それはどの迷いはありませんでした。ただ、仕事に支障を来たさぬようにしなければならないという気持ちは強くありました。しかし、幸か不幸か“乳がん罹患1周年記念”という大義名分があることで、<この際、多少のわがままは許してもらおう!>と素直に甘える気持ちにしてくれたように思います。
決心するやいなや、急がば回れ! まずは仕事のパートナーである山口に「5月の連休あたりに1週間の休暇をもらいたい」と決意表明し、強い希望であることを正直に伝えて了解を求めました。次男との旅の計画を知った山口は、「よかった、よかった!」と涙を流さんばかりに喜んでくれました。そうして、つぎに次男に「オーストラリアに行くことにしました」と携帯メール。すかさず素っ頓狂な歓声が届き、さっそく“金子元”として「計画をしっかり立て、すべての手続きはまかせます」と一方的通告。「イエッサー」と張り切った声を聞いて電話を切ると、不思議なことに胸につかえていたものがスーッと消え、気持ちがとっても楽になったことがいまも強く心に残っています。
金子元……と偉そうにいっても、たいした蓄えがあった訳ではありません。じつは20年以上前、古い友人が生命保険の勧誘の仕事を始め、義理も絡んで入って掛け続けてきた保険の恩恵があったのです。入院1日5,000円の特約のあることは承知していたので、入院前に保険会社との支払い手続きをしました。そのとき、私の入っていた保険に女性特有のがんに罹患した場合の一時金支払いの特約があるという説明を受けました。もちろん死亡後に支払われる保険金の前払いですから、べつに得をする話ではありません。思わぬ“ご褒美”が転がり込んできたことで、入院の際も迷わず1日7,500円の静かな環境(個室)を買うこともできました。しぶしぶ加入した生命保険でしたが、このときばかりは古い友人に感謝する思いでした。
さてさて、清水の舞台から飛び降りるほどの決心ながら、旅の計画はうつ状態から抜け出す格好の治療薬(?)となりました。気がつくと、旅行会社の店先に並んだパンフレットを集めてみたり、ガイドブックを読んだり、5年前に息子から届いた手紙や写真を眺めてみたりと、5ヵ月先の楽しい日々を想像することでずいぶん前向きな気持ちになることができました。
※これは2003年の体験です。