辻本好子のうちでのこづち
No.102
(会報誌 2003年9月15日号 No.157 掲載)
私と乳がん⑯
自己決定を支えるキーワードは“コミュニケーション”
ともかく一日も早く退院したいという希望が実現し、入院予定の14日を繰りあげた10日目(手術後7日)の5月2日、無事、我が家へ生還しました。やっぱり自宅がいい! 長い出張から戻ったときに「ホッ!」とするのとはチョッピリ違う、心底<安らぐな〜〜>という気持ちでした。
患者の思いは、一人ひとりそれぞれです。たとえば入院しているから安心という人もいれば、私のように入院しているだけで気持ちが“病人”になってしまう人。あるいは入院なんて真っ平ゴメンと、トットと逃げ出してしまう人だっているでしょう。もちろん家庭や仕事の都合で、状況さえ許せば一日も早く日常に戻らなければならない、そんな切羽詰った事情を抱えている人も少なくない厳しいご時世です。
最近、「患者中心の医療」「患者が医療の主人公」という声が、医療現場から聞こえてくるようになりました。とはいえ、患者のワガママがすべてまかり通るというわけではありません。一人ひとりの患者の希望を、いかに医療現場が理解し、最大限、患者の選択(自己決定)を支えるか。そうした医療側の努力が、患者に伝わってくるかどうか。患者の希望を叶えるため、精—杯の努力がおこなわれている医療こそが、患者が中心、患者が主人公の医療だと私は思います。
そうした医療を実現させるためには、まずは患者が「どうしたいか?」という自分の意思を明確に持つことが大前提です。そして、一人ひとりの患者の希望を医療者が理解する、互いの共通認識にする双方の努力が必要になります。つまり患者と医療者がしっかり向き合って互いの思いを語り合う、つまり“やりとり”をするというコミュニケーションが重要なポイントとなり、コミュニケーションの「質」を高めることが次なる課題ともなっています。
さて私の場合の希望は、退院5日後に予定されていた大阪市立大学医学部附属病院の研修医オリエンテーションで90分の講演をすること。医療現場にデビューしようとする若きドクターたちに、COMLの電話相談に届く患者さんや家族の「本音」、さらには、医療者には言えない「なまの声」を伝える仕事です。とくに今回は、たとえわずか10日とはいえ、私自身も入院体験をして感じたあれこれも聞いてもらいたい——という思いが募っていました。もし入院が長引いたとして、そのときは外出許可を願い出てでも<絶対に行くぞ>と固く心に決めていたことでした。
そんな私の希望が実現したのは、ベッドサイドで私の話に熱心に耳を傾けてくれたナースの応援があったからこそ。しかし世の中は、けっして「話せばわかる」ということばかりではありません。70年前、時の首相・犬養毅が若き暴徒に襲われたとき、「待てしばし、話せばわかる」と制止したのに「問答無用!」。何ひとつ言葉を交さないまま殺害されたという、哀しい歴史もあります。あるいは「ガーゼと包帯を濡らさないように」と注意された入院患者さんが、ガーゼと包帯をはずして入浴したために傷口が化膿した——と、笑いをこらえきれないような患者さんの相談が届いたこともあります。
ことほど左様に「話せばわかる」は、はっきり言ってウソです。話したって「わかってもらえないこと」だって山ほどあります。それでも、やっぱり、わかってもらいたい——。ならば、そんな気持ちをどう伝えればいいのか? 残念ながら、人間関係ですから正解はありません。しかし、やっぱり解決の糸口は「コミュニケーション」です。互いの気持ちをやりとりしながら、いかに「わかり合おうと努力するか」です。
インフォームド・コンセントにしても、情報提供にしても、けっして一方的に事実だけを伝えるという問題ではありません。「情に報いる」ということは、相手が「どう感じているか?」という心の揺れに寄り添って、交互に心や言葉を通わすこと。辞書で『報いる』を調べてみると「受けたものごとに対して、それにふさわしいお返しをする」と書いてあります。
そんなインフォームド・コンセントの重要性、コミュニケーションの必要性を研修医たちに聞いてもらいたかったのです。
そうして自分の強い希望で退院はしたものの、じつは、まったく不安がなかったわけではありません。退院前夜の夜中にも、ひどく傷口が痛んでなかなか眠れませんでした。そのときばかりは<無謀だったかな〜〜>と弱気もちらつきました。しかし、退院にあたり2週間分の痛み止めが処方されていましたし、手術から7日経った学習で、どんな状況で服用すればいいか、それなりに理解できていました。もちろん退院指導という“有料”のナースの説明もありました。右わきの下から胸の中央に走る大きな傷は残酷で、ときどきうずきもするけれど、とりあえずは日にち薬。一昨日よりも昨日、昨日よりも今日と、確実に傷の痛みは軽減し、家に帰ってからもとくに支障はありませんでした。
入院中は上げ膳据え膳。何の心配もいらなかった三度の食事ですが、家に帰ればそうは行きません。息子にメモを渡してまとめ買いしてもらい、とりあえず冷蔵庫は満杯。そして、気分転換——ということで、長男夫婦が部屋を模様替え。手術した側の右手で重いものは持たないほうがいいと、高い戸棚に納めていたあれこれも低い位置に置き変えたりしてくれました。その間、私はただただおとなしく、ソファに横になって退院後の数日をのんびり過ごしました。