辻本好子のうちでのこづち

No.099

(会報誌 2003年6月15日号 No.154 掲載)

私と乳がん⑬

念願かなって10日で退院!

 5月2日。入院から10日、術後7日目、当初の予定より4日早い退院の朝を迎えました。
 私から強く希望し、病棟ナースの支援をもらって実現した、念願かなった退院であるだけに朝から気もそぞろ。早朝5時頃に目が覚めてしまって、本でも読もうと思うのだけれど、なぜだかちっとも集中できない。10時までに済ませることは、医療費の支払いや生命保険関連の書類を受け取ること。会計窓口は9時からの業務、身の周りの整理といっても荷物らしいものなどほとんどありません。それでもパジャマやタオルを何度もたたみ直しては手提げに押し込み、どうにも落ち着かないときを過ごしました。
 8:00頃、病院給食として最後にいただく朝食が運ばれ、すでに私服に着替えていたのでなにやら妙な気分でしたが、おいしくペロリと平らげました。そうして、ようやく9時頃に次男が到着。会計の支払いに自分で行くことも考えましたが、ここは“経験”と次男に頼むことにしました。
 請求総額は147,220円、うち70,000円は10日間の差額ベッド料。当初は大部屋にしようかと迷いましたが、折角、神さまが与えてくれた休養の時間、20年以上前からコツコツと掛けていた民間の生命保険の特約があったので、贅沢な環境を“買う”ことにしたのです。
 特定療養費である差額ベッド料を差し引くと、手術を含めた入院にかかった費用の総額は77,220円。当時、サラリーマン本人である私は2割負担。 10割に換算すれば386,100円にはなりますが、高額療養費を申請することで限度額を超えた分が還付されます。となれば、私の懐から出るのは、当時の限度額63,600円だけ。もちろん毎月、高い保険料も納めてきましたし、税金からだって国民医療費に回っているのですから、実際にはこれだけで済んでいるわけではないのですが……。
 この金額を高いというか、はたまた安いというべきか。世界に冠たる国民皆保険の恩恵に浴した実感は、むしろ<ほんとうに、これだけの支払いでいいのだろうか?>という違和感に近い疑問でした。もちろん、入院生活のすべてが完璧だったとは言えません。しかし、それにしても、あれだけの人とモノが昼夜を問わず24時間体制で「私のいのち、からだ」に向き合ってくれたのです。その費用が、単純に計算しても入院1日あたり10,000円にも満たないのです。
 私が入院した病棟の看護体制は入院患者2人に1人、いわゆる「2対1」といわれる、ホスピス・緩和ケア病棟以外では、現在、日本の看護基準の最高の配置です。しかし、じつはこの看護職員数はアメリカの5分の1でしかありません。先進国日本(?)としては、恥ずべき数字ではないでしょうか。
 たとえば看護の現場を見ただけでも、ともかくナースが忙しすぎました。そうした一方、私たち患者の要求は高まるばかり。最近の電話相談にもナースヘの苦情があれこれ届きますが、多少なりとも現場の実態を知る身、ましてや入院体験で現場の状況を目の当たりにした者として、患者や家族の訴えに共感はしても、単純に看護現場だけを批判するわけにはいきません。
 もちろん私が入院した病棟にも、ホスピタリティに欠けるナースもいました。忙しそうな表情で、患者に声を掛けられることを背中で拒否しているような。あるいは、マニュアル的な声がけしかできない、そんなレベルのナースが世の中に五万といることも事実かもしれません。看護の「質」の向上を患者側から厳しく求めていくことも大切です。しかし、わずか10日の入院体験でしかありませんが、間近に、しかも身をもって看護現場の今日的実態に触れ、改めて、日本の看護の“これから”を医療消費者の立場として考える必要を痛感させられました。
 10:00になるのを待ちきれず、ナースステーションに行って「お世話になりました」と晴れやかな気分で挨拶。ナースの皆さんの笑顔に送られ、エレベーターに乗ってようやく<ああ、ほんとうに退院できるんだぁ〜>という気持ちになりました。ウォーキングシューズに履き替えて、エッサ、モッサと階段を上り下りしたリハビリが功を奏してか、まったくふらつくこともなく意気揚揚。帰りはタクシーを奮発。入院前に診療所で撮り、借り出していたMRIを返却するようにと手渡されていたので「難波」の方へ少し大回り。大阪ミナミの界隈は見慣れた風景なのに、ごちゃごちゃと活気ある街がいつもよりキラキラと輝いているようで、意味もなく目頭が熱くなりました。
 入院治療計画によれば、本来はまだ入院の身のはず。無理を言って退院してきただけに、「それみたことか!」という事態だけにはなりたくない。10日ぶりの我が家、主として采配も振るいたいところですが我慢、我慢。しばらくは病人役に徹して、おとなしくしていようと心に決めました。いつになく妙におとなしい母親を心配してか、台所に立つ息子の後ろ姿を見て、<いつの間にか大人になっていたんだなぁ〜>と当たり前のことながら、ちょっぴり嬉しくなりました。