辻本好子のうちでのこづち
No.085
(会報誌 2002年3月15日号 No.139 掲載)
試される“患者の選ぶ目”
−4月から大幅な広告規制緩和−
五輪では審判への信頼が揺らぎ、フランスでは高級ボルドー産に安物が混入された偽装ワインが発覚。信頼したブランドに裏切られて滅入っているのは、どうやら日本だけでもなさそう。表があれば、やっぱり裏もある。それにしてもここまで手痛く裏切られてしまうと、いったい何を信じればいいのでしょう。見て、比べて、自己決定するためには広告や情報が不可欠です。しかし、決して“ありさえすればいい”というわけではありません。重要なことは、いかに入手しやすいか、いかに信頼できるか、そして、「質」を保証する責任体制がいかに整っているか、です。
規制緩和の対象とは
すでにご存知のように今年4月1日より、医療広告の規制が大幅に緩和されようとしています。
「医療に関する情報開示を進め、患者の選択を通じてわが国の医療を一層質の高い効率的なものとしていくこと」を目的として、昨年9月以降、社会保障審議会医療部会で毎回、丁丁発止の議論が交わされました(患者の立場の委員として出席)。しかし、医師会や病院協会など医療提供側と、健保連に自治体代表、そして患者の立場など受ける側の利害がそれぞれに絡み合い、最後の最後までなかなか意見の一致がみられませんでした。最終案は厚生労働省がとりまとめたうえで(※)、インターネットや手紙・FAXによる一般の意見を募るという型どおりの経過をふまえて、大臣告示を改正して4月から実施のはこびとなりました。
※広告が可能になるおもな項目 《 》が意見不一致の項目
- 《専門医の認定》
- 《治療方法》
- 《手術件数、分娩件数》
- 《平均の入院日数》
- 《患者数》
- 〈医師や看護婦の患者数に対する配置割合〉
- 〈売店、食堂、花屋、喫茶店、床屋、一時保育サービス〉
- 〈セカンドオピニオンヘの協力体制〉
- 〈電子カルテの導入〉
- 〈患者相談窓口の設置〉
- 〈安全のための病院管理体制〉
- 《病床利用率》
- 〈理事長の略歴〉
- 〈ホームページアドレス〉
- 〈症例検討会の実施〉
- 〈入院診療計画の導入〉
- 《外部監査を受けている旨》など
それにしても、じつにみごとなほど、COMLに届く電話相談で患者たちが求める“情報”と重なっています。
なお、最後まで激論された項目は《専門医の認定》と、先送りになった《死亡率》の問題です。《死亡率》については、「現状では、重症患者の拒否や危険度の高い手術を避けるなど、医療提供体制に混乱を生じる可能性がある」として、客観的に数値の比較ができるような環境が整ってから、ということで検討が継続されることになりました。そして、《専門医の認定》については、改めて以下のような学会の「団体の基準」が取り決められました。
・学術団体として法人格を有していること
・団体の会員数が1000人以上であり、会員の8割以上が医師・歯科医であること
・カリキュラムに基づき5年以上の研修をおこなっていること
・資格の取得に当たって適正な試験を実施していること
・資格の更新制度を設けていること
・専門医の資格要件を公表していること
・一定の活動実績を有し、その内容を公表していること
・問い合わせに応じる体制が整備されていること
つぎは質を保証する責任体制
「どこに専門医がいるのか」。これはもっとも患者が知りたい情報です。しかし、学会ごとに認定基準が違うなど、じつに曖昧、お粗末な状況。現在、学会を名乗る団体は300とも400ともいわれ、予備軍である研究会となると星の数ほど。団体の認証は許可制ではなく、「我々は今日から学会と名乗る!」と宣言すればいいのです。ようやく数年前、学会を外部から評価する第三者機能が動き出したばかり。現在加盟している20数団体なら「かなり信用できる」そうです。
しかし、聞くところによると、認定医になるには製薬会社の社員に頼んで学会参加証明書を集めるだけで認証される学会も少なくないとか。こうしたたぐいの話をよく耳にします。これでは食肉偽装ラベルと何も変わらない。そんないい加減な情報を待っていたわけではないのに——。
そして、患者が知りたいもう一つの情報は〈手術件数〉。もちろん数をこなして手慣れた術者であればいいという問題ではありません。ときに、慣れが危険につながることだってあるのですから。とはいっても、やっぱり経験未熟は不安です。しかし、手術数が広告できるようになると、数を稼ぐために必要のない手術を患者に押しつけることがあるかもしれません。なんといっても数字(データ)は現場の手の内。どうにでも操作できるもの、ということを私たちは十分に認識しておく必要があります。
なにやら裏話のようになってしまいましたが、要するに、私たちは「試される」ということが言いたいのです。広告するか、しないかは、あくまで病院の自由。決して義務ではありません。それだけに顧客誘導の誇大広告や、「コレは開示してやってもいいが、アレは駄目」と旧態依然のパターナリズム(父権性温情主義)の情報操作がなければいいがと、広告規制緩和を歓迎する一方で、どうしても一抹の不安がよぎります。
たしかに、「知りたい」と願った情報が入手できるようになります。しかし、確実に危うさをはらんでいます。それだけに一日も早く、医療広告の「質」を保証する確かな責任体制の整備が必要です。そして、私たちが心しなければならないことは、まずは情報を鵜呑みにしない、ということ。「どういう医療を受けたいか」を自覚したうえで、五感を研ぎ澄ませて情報をかぎわける。知恵を働かせながら、情報提供側の医療者としっかり向き合う。そうして対話するなかで、ほんとうに必要な情報を確認することです。そのためには今回新たに加えられた(相談窓口〉の広告の有無を吟味して活用すること。相談の患者ニーズが高まれば、きっと病院のサービス機能も向上するでしょう。
消費者を裏切る一連の事件は、そんな“基本”に戻れという時代の警鐘なのかもしれません。