辻本好子のうちでのこづち
No.041
(会報誌 1998年5月15日号 No.93 掲載)
自己決定を支えきる背景には……
別の治療法を探したい、複数のドクターの意見を聞きたい、というセカンド・オピニオンを求める患者側の思いの裏には、じつにさまざまな動機が潜んでいます。けれども仮に複数の選択肢が手に入ったとして、結局、最後に「どうするか?」は患者に返ってくる問題。セカンド、オピニオンと自己決定は、切っても切れない大きなテーマ。ということで、今回はある患者の自己決定について。
寡黙で人を寄せつけない象徴的な外科医タイプのA氏が、50代なかばでがんに倒れました。苦痛を一切他言せず、検査も入院も一切拒否して、ほとんど動けない状態になるまで仕事をつづけました。そして、その後の2ヵ月間。襲いくる苦痛とじっくり向き合うと宣言して自宅療養を選択。ついに痛みに耐えかねて、麻薬(モルヒネ)による痛みのコントロールだけを目的に友人の病院へ入院した半月後、一切の延命医療を拒否した自然死に近い“望み通りの尊厳ある死”を全うしました。
入院してからも、A氏はもちろん家族もできるだけ自宅の日常に近い生活を望み、気難しい患者の身のまわりの世話のほとんどは家族の手にゆだねられました。病室に近寄ることすらできないナースたちから「何もさせてもらえない」という苛立ちの不満が噴出しましたが、友人である主治医は「患者中心の医療」「家族のできないことを支援する看護」の必要性を説き、ナースたちと議論を重ねながら理解を求め、見事なまでのチーム医療を実現させています。
また入院直後には「若い当直医が臨終に立ち会うことも考えられるだけに、自分の意思をしっかり書き残しておけ」とアドバイスをし、A氏が口述した内容を家族が清書し、本人が署名、捺印した『事前指定書』が作成されています。
臨床の第一線を退いたのち、A氏はつねに医療の限界と不確実性を口にしていただけに、期待や依存にとらわれることなく「病名なんかどうでもいい」と平然と言ってのけられたのかもしれません。現実を直視するだけの知識と情報があるうえに、わがままのいえる病院で最期を過ごすという特権もあって、自分の受けたい医療を自分で選ぶことができたのでしょう。しかも臨終の場面には、主治医が出張から戻るのを待って……と、強い意思力を発揮して望み通りの死に方を選んでいます。
けれどもA氏の自己決定を支えきった背景には、じつはもう一つ欠かすことのできない支援がありました。「たとえ自筆署名の事前指定言があったとはいえ、一切の延命、救命処置をしない臨終は、20数年の経験でも初めて!」と、A氏の死後に主治医が感動をもって語るなかでとくに強調したのは「臨終の場面でも取り乱すことなく、冷静に本人の意思(自己決定)を支えきった家族の存在が大きな意味を持っていた」ということでした。
患者の願い(自己決定)を丸ごと包み込み、医療情報を共有して最期まで冷静に行動した“家族の存在”にスポットが当てられたことで、私は改めて、終末医療に限らず自己決定の問題は患者本人はもちろん、患者を取り巻く医療周辺のすべての人の問題とつくづく感じさせられました。