辻本好子のうちでのこづち

No.002

(会報誌 1994年9月15日号 No.49 掲載)

開かれた対話の場でも上下関係が

 今年5月、「日本における産児調節法の実情と将来について」という小さな会合が東京で開かれました。スタンフォード大学アジア・太平洋研究所の比較医療政策研究プロジェクトチームの主催。世界で初めて経口避妊薬の化学的合成に成功したメンバーの一人である科学者カール・ジュラシュ、そして彼の研究助手をつとめる若い日本人女性の二人が来日しました。もちろんこの日の会議は日本語で、聡明なマリコ助手の見事な司会で実にオープンな話し合いが展開されました。
 招聘のもと集まったメンバーは、国会議員をはじめ産婦人科の教科書に名をつらねる指導的立場や第一線の臨床医。そして、著名なジャーナリストや関連の市民グループの女性たち。医療消費者の権利拡大と保護を訴え患者からの相談に応えている立場ということで、何と私にもお声がかかったのです。総勢17人の日本人がそれぞれに、それぞれの視野から見た「日本の実情」をジュラシュさんにお話するリラックスした2日間でした。
 そのディスカッションでのひとコマです。

「許す」とはナニゴト?

 「日本ではなぜピルが普及しないのか?」という議論の中で、優性保護法改悪阻止連の代表(彼女は妊娠可能な年齢の女性)が反対の持論を展開したあと、ポツリと「今日の話を聞いて低用量ならいいかな?と思った」という本音を漏らしました。すかさず、ピル普及推進派の若手の産婦人科医・Kさんが「○○さんほどの女性が(ピルについて)その程度の認識だったとは情けない。しかし、少しは実態が理解できたようだから許すとして……」というコメントがあり、一気に“だからこそ推進”という方向に話が流れ出しました。かの女性は口ごもり、視線を下ろしたままです。
 ウーンちょっと待って!“許す”とはナニゴト?たしかに昼食やコーヒータイムで和気あいあいの交流後ということもあって、午後からの会議は一段と盛り上がっていました。しかし、だからといってやっぱりこの発言は無礼ですヨ!誰も何も感じていないようすにますますカッカとなってしまった私は、いたたまれない思いにかられ、気がついたときにはマイクを握りしめていたのです。
 緊張のためなのでしょう、手足は冷たくなり身体は小きざみに震えていました。「これほど見事な開かれた対話の場で、今のKさんの“許す”というお言葉を聞いて私はとても哀しい気持ちになりました。そもそもこのディスカッションには対等な人間関係という前提があったはずです。医療現場でもドクターは平気で患者にこうした言葉を使います。患者の心は深く傷つけられています」。

「先生」をやめましょう

 会場はシーンとし、すべての視線が私に集中したことは言うまでもありません。足を組んで大きく身体をのけぞらせていたKさんもいつのまにか姿勢を正し、ジーッと私を見ています。さらに勇気を振り絞って「ひとつだけお願いがあります。せめて今からでもお互いを“先生”と呼び合うことをやめようではありませんか」と思い切って提言してみました。すると急に司会のマリコ助手の顔がパッと明るくなり、私に向かって何度も何度も小さくうなずいてくれたのです。
 ほかの会合なら当然のことなのに“さん”と呼び合おうという提言が、どうしてこんなに緊張してしまうのでしょう。このときなぜか私は、外来患者のような気分を味わっていたのです。会議が終わった後、マリコ助手が「ありがとうございました。日本ではつい“先生”でないといけないような気になってしまって……」と、優しい笑顔で握手を求めてくれたことが今も心に残っています。