辻本好子のうちでのこづち
No.001
(会報誌 1994年8月15日号 No.48 掲載)
異次元空間での気づき
今年の4月、ひょんなことから新潟で開催された第91回日本内科学会に参加しました。おりしも満開の桜、日本海の小都市に全国から約13,000人の内科医が集まり、「科学と医療の調和」をテーマに盛り沢山の行事が繰り広げられました。私も初体験の3日間、多彩なプログラムを満喫することができました。
そもそも学会開催のひと月前、地元新聞社の企画で学会会頭の新潟大学医学部教授と私の対談が組まれ、新潟に招かれました。対談のテーマは「医師と患者でつくる医療・信頼を深める対話こそ命」。まさにCOMLの目指していることそのものです。その席で教授から学会へのお招きをいただき、科学の祭典に参加する恩恵に浴することになったのです。
学会初日の会頭演説の中で、教授は「綿密な観察、研究心旺盛で創造力に富んでいる」「サイエンスとアートの調和した人間的な心と哲学を持つ」医者であれと、21世紀に求められるイメージを語られました。そして「すぐれた臨床家はすぐれた研究家である」と結ばれたとき、まさしく私の思いと重なることで嬉しくなり、思わず目頭がジーンと熱くなりました。
ところが引き続きメイン会場の県民会館で繰り広げられた研究発表を聞くうちに、風船のようにはずんだ心がだんだんに空気が抜けしぼみ始めたのです。舞台では「心臓性突然死の実態と機序」「インスリン受容体と糖尿病」など、何を語っているのかまったく理解できない研究報告が、次から次へと続いていました。
研究成果を報告する“その人”にとって患者はあくまでも「症例」、しかも人間よりもモルモットの実験で業績を積むことが目的のその人は、功を成し名を遂げるために戦いに挑む戦士のよう。日進月歩の医学を支え、病気を征服するために寝食を忘れ邁進する科学者に、「患者の心にまなざしを!」といくら私が大声で叫んだところでとても届きそうにないと哀しくなってきたのです。
会場はスライド映写のために薄暗く、カタカナや英語交じりの言葉が空を舞う異次元空間。私はあえて“違和感のるつぼ”に身を置くことで、サイエンス(科学)を受け止めアート(医術)との調和を身体一杯で感じようとひたすら努力していました。
そのとき私の目の前には、満々と水をたたえ滔々(とうとう)と流れる大きな河が浮かんできました。そして、ただただ怖れおののき、たたずむしかありませんでした。渡りようもない大きな河を挟んだまま、どうしたら向こう岸へ患者たちの声が届けられるのかとジーッとうずくまり考えあぐねていました。
しかし、「渡れない!」と嘆いているだけでは、何の解決にもならない。だからこそCOMLが存在することに意義があるんじゃないか!と思い始めたときから、ふつふつと身体中にエネルギーが充満し始めたのです。患者と医療者に横たわる大きな河になくてはならない「架け橋」、そのためにも患者と医療者の「成熟した関係づくり」にもっともっと本気になろうと心を決めました。
患者の主体的な医療参加の必要性、そして、成熟した医療者との人間関係を築くためにCOMLが果たすべき役割を、改めて確認することができました。この秋、COMLは満4歳。5年目に向かって新たなエネルギーを充たすべきこの時期に、とても大きなプレゼントをいただけた3日間でした。