辻本好子のうちでのこづち

No.144

(会報誌 2007年3月15日号 No.199 掲載)

私と乳がん(58)

ようやく元の主治医のもとへ
再発・転移の夢にうなされて

 1年半の逡巡の後、前の主治医を追いかけて転院する決心をしたのは、じつは乳がんが再発したという夢を繰り返し見るようになったことがきっかけでした。
 2004年9月、手術からそろそろ2年半が経過しようとしていた頃のこと。夢に見るのは、リンパ節に転移が見つかって「治療はどうしますか」と問われて言葉を失っている私。「今度は左側の乳房に転移しました」と淡々と告げられ、やはり言葉が出てこないまま立ち往生している私。手術の後、つぎつぎと立ち向かうべき治療があって、今思えば不思議なほどそれまで、一度もそんな夢にうなされるようなことはありませんでした。新しい主治医とのコミュニケーションがとれないことで、心の深い部分で少しずつ自分を不安に追い込んでいたからかもしれません。

心のなかで繰り返した逡巡

 診察室で立ち往生していたり、病院の廊下を歩いて迷ってしまったり……。そんな夢から覚めたあとは妙に頭が冴えてしまって、なかなか再び眠りにつけません。<もしほんとうに再発や転移をしたら、もう一度あの治療に挑戦するの?><でも、もう二度とあの苦しみはしたくないわ!><だったら、一切の治療を拒否して、残された時間を悔いのないように生きたっていいんじゃないの?>と悶々とするうち、不安で胸がはちきれそうになって、ほんとうに再発や転移をしたような気分に陥ってしまうのです。そして、<ああ、嫌だ、嫌だ!>と布団からはね起きる——。
 そんなことを何度か繰り返していたある日。ベランダで明けていく茜空を眺めながら、<いったい何を迷っているのヨ!?>と自分に問いかけていました。そのとき突然、『迷ったら進む!!』と口癖のように明るく言い放つ知人の言葉が耳元で聞こえました。その声に応えるように<そうよねぇ、別に新しい主治医に義理立てしなきゃならない理由はないんだから、迷う必要なんてないわよ!>と、気持ちがぐっと動いたのです。その途端、嘘のように気持ちが楽になったことをいまもときどき思い出します。
 「自己決定」「自己決定」とお題目のように唱えてきた私なのに、転院すること一つもなかなか決められなかった優柔不断。思い出すのも恥ずかしい、あの頃の体たらく。どうして<何ごちゃごちゃ迷ってるのヨ!>と叱り飛ばす自分がいなかったのか、<迷うってことは、変わりたい気持ちがあるからでしょ!>と、素直に認めてやる自分がいなかったのか。改めて、自分で自分のことを決めることが、いかに難しいことなのかを実感しました。COMLに届く電話相談の多くからも、迷っているときに誰かにポンと背を押して欲しいという言葉にならない気持ちが見え隠れします。所詮人間は一人では生きていけない存在、一歩を踏み出す勇気が必要なときに誰かに背を支えてもらいたいと願うものなのかもしれません。電話相談ではありませんでしたが、私も「COMLの山口さん」に胸のうちを吐き出し、共感のひとことを得たことで心の奥底に潜んでいた「転院したい気持ち」を自分でしっかりと認めてやることができました。
 がん患者になっていくつか心を行き交った、貴重な逡巡のひとつです。

信頼する主治医との再会に心も晴れ

 心を決めた日、早速、かつての主治医が勤務する病院に受診予約の電話を入れました。かかりつけの病院を定期受診した数日後ではありましたが、いても立ってもいられない気分だったことと、妙に軽やかな気持ちだったことが忘れられません。そうして数日後、かつての主治医と診察室で久しぶりの再会となりました。1年半の空白などどこにもなかったかのような自然体で迎えてくれた主治医に、どれほど救われる気持ちだったことか。普段通りのやりとりのあと、触診で異常のないことが告げられました。そしてつぎに私から、主治医が変わってからの治療や検査結果、そして、ホルモン剤の服用など用意したメモを見ながら経過を詳細に報告しました。
 前医からの紹介状を携えてきたわけではないので、転院した病院には私の病歴に関する資料は一切ありません。そこで、「とりあえず次回、CT検査をしましょう」となり、手帳を繰りながら次回の受診日を決めることになりました。なかなか主治医の外来診察日と私の都合が合わず、「相変わらず、忙しそうですねぇ〜」と笑いながら、ようやく3ヵ月先の日程が決まりました。予約日をコンピュータ画面に打ち込んだ主治医とは、そのあともしばらく四方山話を交わしました。
 その会話のなかで、「外科医って、ご自身が手術した以外の患者に興味や関心って持ちにくいものですか?」という疑問を率直にぶつけてみました。すると間髪入れずに「そうでしょうネ!」と悪びれる様子もなく、あっけらかんとした一言が返ってきたのです。思わず<う〜ん、やっぱりそうだったんだ!>と妙に納得する気持ちと、<だったら、いままでの私の迷いは何だったのかしら?>と切なくなる複雑な気持ちになりましたが、あまりにも明快で正直な主治医の本音を聞けたことで、一気に胸のしこりが消えました。サバサバと心が軽くなっていくのが自分でもよくわかりました。そして、この人なら、もしも今後、ほんとうに再発や転移という事態になったとしても、しっかり支えてもらえる、いや、もらいたい……と確信しました。

※これは2004年の出来事です。