辻本好子のうちでのこづち

No.131

(会報誌 2006年2月15日号 No.186 掲載)

私と乳がん㊺

これが“患者の気持ち”です
びっしり書かれた事前説明書

 11月25日、放射線治療初日は「位置決め」の日です。前回の外科外来診察の折、主治医から「しっかり読んでおいてください」と手渡されたのは、放射線医からのメッセージ。『胸部への放射線治療を受ける方へ』というA4判一枚にびっしりと書き込まれた説明書でした。<放射線治療とは><その効果とは><治療の副作用について>など、そこには治療中と治療が終わってしばらくしてからの副作用まで、丁寧に語りかけるように記されています。終章の<治療に際して気をつけていただくこと>に至っては、書き手の人柄が沁みてくるような文章です。
 事前に何度も繰り返して読んだおかげで、治療初日は30〜45分くらいかけて「位置決め」をすることと、翌日から土日以外の毎日治療に通うことは十分理解できていました。しかし正直いって、いくら優しく「心配しなくてもいいですヨ」と語りかけられても、しょせん語る人の顔も見えない紙切れ一枚。抗がん剤治療につづく放射線治療、しかも25回も続くとなれば、初体験の患者の不安は簡単に軽減できるものではありません。
 それでも患者の気持ちをおもんぱかって、人手の足りない忙しさを埋めようという最大限の努力が表れた一枚のメッセージ。今日は、その書き手である放射線科医に初めてお目にかかることができるだけに、どんな方なんだろうとワクワクしながら予約の午後1時30分、10分ほど前から待合のベンチに座って待機していました。

抵抗があっても寒くても従うしか……

 放射線治療の部屋(リニアック室)は、病院の端っこの廊下のドン詰まり、殺風景で心なしか薄暗い空間に位置します。その日、おそらく私が最終予約患者なのでしょう、静まり返った人気のない未知の空間に一人身を置いてじっと待っているだけで、どんどん不安が募ってくるようでした。ナースの姿も見受けられず、時折、出たり入ったりしているのは白衣のガウンをまとった数人の男性。おそらく放射線技師だろうと思うのですが、廊下で一人待つ私にひと声もありません。仮に私が、もう少し高齢で気の弱い人間だったら、たまらなくなって逃げ出していたでしょう。滅多に感じないほどの心細さに襲われているところに、ようやく名前を呼ばれて「お入りください」と案内されました。
 案内された寒々しい部屋の真ん中には高いベッドが一つ。その頭上に円盤のような大きな機械があるだけのガラーンとした、まるで工場の片隅にでも立たされているような気分。ふっと気づくと、そこに流れているのはユーミンの歌声。決して彼女の唄は嫌いではありません。聴けば、いつも元気がもらえるような気もします。でも、明るく歌い放つ彼女の歌声が、高まる不安を抱えたそのときは妙に疎ましく感じてしまいました。
 衝立で囲まれた小さな脱衣コーナーに立つと、いきなり「上半身裸になってください」という声。ところが脱衣籠の中は空っぽで、何一つからだを覆うものも見当たりません。11月末、だだっ広い部屋の暖房の効きが悪いのか、ともかく寒い!! 言われるまま仕方なく上半身の衣服は脱いだものの、つぎに<つるっぱげの頭を覆っている帽子はどうしたものか……>。最後の一人ということもあってか、なにやら急かされる気分。どうしたらいいかと声のかけられるような雰囲気もありませんでした。いまさら隠したって仕方がない、<エイ、ままよ>と帽子も脱いでベッドに向かいました。
 衝立からベッドまでは歩けば数歩、3メートルほど離れているだけです。ところが、ベッドの横に立って待つ男性技師に向かって、上半身裸の丸坊主姿で歩く患者の気持ち、いま思い出しても胸がキュンと痛くなります。せめてガウンの用意でもあればいいのに……と思っても、これから25日間お世話になる患者の身となると何も言えず、粛々と従っている自分が不思議でなりませんでした。
 30センチくらい高さの足台に乗ってからベッドに登り、指示された通りに横になると<ヒエ〜ッ!>、冷え切った金属板が背中にペタリ。「ちょっと冷たいですよ」の技師の声に、心のなかで<後から言うナョ!>と恨めしい気分。「もう少し上に……もう少し右肩を下げて……」とからだを固定させるときに触れる技師の指先も冷たくて、ブルブルと小刻みに震える動きを自分ではどうすることもできませんでした。
 そうこうするうちに、突然バタバタッと若い白衣の男性が部屋に飛び込んできました。他の人の口調から、どうやらこの人が放射線治療を担当してくれるドクターのようです。何の挨拶もないまま<この人が、あのメッセージの主かしら?>と思っていると、ベッドの周りに立った3人の男性から見下ろされた状態でいきなり黒いマーカーで胸に何本もの点や線が書き込まれていきました。<そうそう、これが文書の中に書いてあったことなんだ>と思い返す一方で、妙に一人の技師のタバコ臭い息が気になって仕方ありませんでした。
 サイボーグにでもなったように、黒々と描かれた線を「消さないように」という口頭だけの注意。せめて文書に書かれたものがあれば、もっと安心できるのにと思っている矢先、「ではCTを撮っていただきますので、こちらへ」。CTを撮るなんて書いてもなかったし、聞いてもいません。裸を覆う布の一枚が欲しいということは、私だけのわがままのようでなぜか言いにくかったのに、CT撮影については「何のためか?」と、ほんの少しの勇気で質問することができました。「乳腺がどこまであるのか? そして、脂肪の厚さを調べるため」だと技師からの説明があって、その結果で放射線量が決まることがようやく理解、納得できました。

※これは2002年11月の体験です。