辻本好子のうちでのこづち

No.128

(会報誌 2005年11月15日号 No.183 掲載)

私と乳がん㊷

そして——最後の化学療法
優しい励ましが身にしみて

 9月25日、抗がん剤点滴最終回の朝。
 目が覚めたとき、<とうとうこの日が来た>という達成感に似た気持ちの一方、<ようやくたどり着けた>と安堵する二つの想いがない混ぜになった複雑な気持ちでした。
 8時半、いつものようにまずは採血室へ。その待合室で思いがけない方とばったり。「やぁやぁお久しぶり、お元気そうでよかった目と声をかけていただきました。定期検査のための受診だというHさんは、COMLの立ちあげの際に大変お世話になった弁護士さん。1997年に悪性リンパ腫に罹患され、きつい化学療法を受けるための入院中にも仕事を持ち込んで病室が事務所と化し、スタッフが重い書類を持って日参していたという逸話の持ち主。治療後も忙しく活躍しておられる噂をお聞きするたび、心からのエールを送っていました。
 いまは、私も患者の立場。街角ですれ違うときに元気な振りして明るく挨拶するときとはやはり違います。病院のなかというだけで隠しようもなく、素直に病気を持った人の顔になっている自分を感じました。人様の前ではあまり見せたくない弱い自分をさらけ出している多少の戸惑いはあるものの、そのときの自分がとても自然な気持ちだったことがいまも強く印象に残っています。
 帽子を目深にかぶった私に向けるHさんのまなざしからは、同じ脱毛体験をした人のえもいえぬ優しさが伝わってくるようでした。そして、「辻本さんも仕事が休めないらしいネ。まぁお互い、困った者だ(笑)。でも、周りにはあまり心配をかけないようにネ。無理だけはしないように!」と柔らかな笑顔でかけてくださった言葉が痛いほど身にしみました。

納得して検査を受ける大切さを実感

 その日も3時間ほど待って、ようやく名前が呼ばれました。診察室で主治医と向き合うと、これもまたいつものように、まずは血液検査の結果の説明から。この日の結果は、白血球が3200(前回2600)、好中球も2100(1400)と、私にしては驚くべき高い値を示していました。主治医も驚いた様子で、「すごいですねっ! “さぁ、今日が最後だぞ”ってからだが反応して、意気込んでるみたいだ」と、いつもに増して明るい表情。そのあとの会話のなかでも「すごい、すごい」と何度も繰り返し、本気で喜んでくれていることが伝わってきて嬉しくなりました。照れ隠しもあって「とくに採血のときにウ〜ンと力んだわけじゃないんですけれどね〜〜」などと冗談を返しながら、<がんばってきてよかった……>と急に涙が出そうになりました。そして、それまで以上に主治医が身近な存在に感じ、改めて、このドクターにセカンドオピニオンを求めてよかったと満たされた気分になりました。
 主治医は最後の抗がん剤治療の薬液量の計算をして、細かな数字をコンピューター画面に打ち込んだあと、私のほうを向いて「では最後です、がんばりましょう!」。そして、「次回の診察は2週間後の10月9日でいいですか? ハイ、では今日、心エコー(心臓の超音波検査)と心電図の検査の予約をして帰ってくださいネ」。わかってるはずでしょ、当然のことでしょ、といわんばかりの話へと流れました。そのとき、思わず私の頭のなかにいくつもの「?マーク」が浮かび、<えっ、どうして心エコーと心電図検査が必要なの?>という素朴な疑問が浮かびました。
 確かにFEC治療(乳がんの化学療法の種類の一つ)を選択する際の事前説明のなかで、副作用として心機能が低下する可能性があるとは聞いていました。それだけに検査の必要があることは、私なりに理解はできます。しかしすんなりとした納得ができなかったのです。しかも心エコーと心電図の検査となれば、医療費だって馬鹿になりません。質問や確認を遠慮することで“わかったつもり”にだけはなりたくありませんでした。なんといってもCOMLの辻本好子、このまま引き下がるわけにはいきません。
 間髪いれず「どうして、その検査が必要なんですか?」と率直に尋ねました。すると主治医は、聞かれればちゃんと答えますよといわんばかり、別段、不機嫌になるわけでもなく「ハイ、それはですね……」とつぎのような説明をしてくれました。FEC治療の副作用として、海外のデータではあるけれど心機能異常が5%の割合で出現。それだけに治療後には必ず、どれくらい低下しているかを確認することが必要になる。そのための検査だということがわかって、ようやく納得できました。しかし、その説明を聞いているうちに、もう一つの疑問がわいてきました。
 そこで、今度もまた単刀直入に、「ちなみに治療前の私の検査データはどれくらいだったんですか?」と尋ねました。治療前の私の心機能(※1)の数値は76%だったこと。そして、正常値範囲は60〜80%で、30%になると心不全状態であること。また、検査をして数値が15〜20%以上落ちていなければ大丈夫で何の心配もないことと、もし仮にそれ以上に落ちているようであれば、今後の治療が必要になるという説明があって、ようやく、しかも十分に納得することができました。
 「検査の予約をして帰ってくださいね」「ハイ、わかりました」だけのやりとりならば、確かに時間はかからないと思います。待合室で観察しているとあっという間に診察室から出てくる患者さんもいれば、結構長くかかっている人もいます。多分、ドクターの対応が変わるというよりも、患者さんの姿勢に違いがあるのではないかと思いました。もちろん根掘り葉掘り、質問や確認を何度もしていいということではありません。患者にだって、ほかの患者さんに迷惑にならないための“守るべきモラル”はあるはずですから……。
 十分に納得できた気持ちで診察室を出てくるときには、3時間待たされた多少の不満はすっかり消えていました。

  • (※1)心機能:「駆出率」といい、1回の心臓から拍出される血液量を拡張終末容積で割って出す割合。

※この体験は2002年9月のできごとです。