辻本好子のうちでのこづち
No.117
(会報誌 2004年12月15日号 No.172 掲載)
私と乳がん㉛
脱毛でかつら —躊躇と葛藤—
初めてかつらをかぶって外出し、学生の前に立った翌日。6月28日は講演の予定もなく、10日ぶりに一日中、事務所で仕事をすることになっていました。午前に遠来の来客があって、午後は久しぶりの電話相談を対応して、夕方にはNPO法人として生まれ変わった新体制の第1回目の理事会が予定されていました。
仲間に“かつら姿”を見せる葛藤
その日の朝、事務所のドアを開けるときの戸惑いは、前日とはまったく異なったものでした。学生の前では葛藤はあったものの、最後は開き直りさえすればよかったのです。事務所の仲間がかつらをかぶって来たことをとがめたりするはずもない、まして笑ったり冷やかしたりするはずのないことなど、百も承知しています。しかし、日常の「私」を最もよく知る仲間たちの前で、脱毛を隠すための明らかな「ウソ」をついていることがたまらなく嫌だったのです。そして、それ以上に辛らかったのは、「ウソ」とわかっているのに気がつかない素振りや、騙された振りをしなければならない仲間たちの気持ちを考えるだけで、胸が一杯になりました。
ところが、そんな殊勝なことを考える一方で、もし「お気の毒な……」といった哀れなものでも見るような眼差しを向けられたら、きっとその場で逃げ出したくなるだろうなぁ〜などと気弱な気分にも襲われていました。以前、電話相談で「優しさって、押しつけられたらかなわんよなぁ〜」とひとりごちた30代の男性の言葉が、ふと心に浮かびました。<う〜ん、だったら、どうして欲しいの?>と自問自答してみても、<こうこう、こうして欲しいんです!>という明快な答えなどありません。ようは、いまだに自分自身が『つるっぱげ』になったことが受け入れられないという自分自身の気持ちの問題でしかないのです。
朝、家を出るときから、というよりも前夜、床に入ってからも悶々として、なかなか寝つけなかったのです。<明日、事務所で皆に、かつらのことをどう話そうかしら……>。結論のないまま朝を迎え、自分の気持ち一つコントロールできないで、迷いのままドアの前で躊躇している自分がどうにも惨めったらしく思えてなりませんでした。恐らく、そんな葛藤をしたなんて、仲間たちに正直に話そうものなら、「エッ! 私たちのことをそんなふうにしか考えてないんですか?」と、一斉に哀しみと憤りの集中砲火を浴びるに違いありません。そんなことは十分過ぎるほどわかってはいるのに……。
バクバクと音を立てる心臓に右手を当てて深呼吸。小さな声で「おはようございます」。そっとドアを開けると、一斉に仲間たちの視線が私に注がれました。そして、「おはようございます」と、いつもと変わらない元気な声が、ついつい伏し目がちになる私の気持ちをシャンと支えてくれました。私もニッコリ笑って精−杯の照れ隠し。<よ〜し、今日一日、笑顔で強がってみようじゃないか!>と心のチャンネルが切り替えられ、ほんとうに励まされる思いでした。
そして夕方の理事会で、COMLの守り刀のような理事の皆さんから優しい声を掛けていただいたときには、ほんの少し甘えたくなるような気分になりました。入院や治療で仕事に支障をきたしたことのお詫びと、この先、できるだけ頑張ってみたいのでどうか心配しないで見守って欲しいと、私の希望をお伝えし、承認していただくことができました。
体験を“武器”にしないでいよう
翌28日の土曜日、この日は京都で開催される『医療マネジメント学会』のランチョンセミナー(昼食時の講演会)で1時間の講演。全国からの参加者600人の前に立たねばなりません。かつらをかぶるようになって3日目ですが、もちろん、そんなに簡単に“慣れる”というシロモノではないだけに、この日の朝もそれなりの葛藤がありました。しかし、化学療法を受けると決めたとき、誰に頼まれたわけでもない、自分自身で<いくら脱毛していようとも、絶対に仕事は続けるゾ!>と固く心に決めたことです。決して、逃げ出すわけには行きません。
ところが講師控え室に案内されたときから心は上の空。「日曜日にもかかわらず」とねぎらいの言葉を掛けてくださる主催者の、その眼差しが正視できないのです。参加者のほぼ100%が医療側という会場で何を話させていただくか、1時間の講演の内容は事前に組み立ててきています。決して、上がっているというわけでもありません。そんな、どうにも落ち着かない気分のまま、広い会場の舞台の中央に立ちました。
COMLの電話相談対応の現状と報告のあと、具体的な相談例を紹介しつつ「患者が医療に何を期待しているか?」について懸命に想いを語りました。そして、話が終盤に差しかかったところで、ほんの少しだけ自らの乳がん患者体験を語りました。すると突然、それまで「電話相談には……」と患者や家族の気持ちを代弁する客観的な立場で語っていたときの私と参加者との距離間が一気に縮んで、会場の人たちの気持ちが「ぐぃっ!」と近づいてくるような気がしました。「へぇ〜、そうなのかぁ〜、あんたも患者になったのか〜」と、哀れみとも同情ともつかない妙な空気が私を包み、それまでとは明らかに違う参加者の眼差しが注がれていることに気づきました。
じつは講演の間中も、かつらをかぶって立っている「ウソ」が心に重くのしかかっていたのです。しかし、これ以上「じつは抗がん剤の副作用でつるっぱげなんです」と正直に打ち明けようものなら、私の乳がんが“武器”になってしまう。直感的にそう感じて、<渦中にあるいまは、絶対に体験を武器にしてはいけない>と静かな気持ちになって、乳がん患者になったことのカミングアウトだけに話を留めて講演を終えました。
※上記は2002年の体験です。