辻本好子のうちでのこづち

No.115

(会報誌 2004年10月15日号 No.170 掲載)

私と乳がん㉙

副作用の克服もインフォームド・コンセントあってこそ

 抜けた髪をじっと眺めて、身動きできなくなっている私。その姿が、そのときの表情が、どんなであったろう。それが自分ではなく、寄り添うことのできる立場であったなら、黙ってそっと“その人”を抱きしめることだってできただろう。けれども他人事ではない、私自身の身に起きていること。誰にも代わってもらえるわけもない、ともかく我が身のこととして引き受けるしかない——。正直いって、そのときすぐに、自分の姿を鏡に映して見てみようという気持ちにはなれませんでした。いいえ、勇気がなかったのだと思います。

いくら自分を慰めても……

 ここ10年ほど、ずっとショートカットにしていて、同じ長さを保つため月に一度、どんなに忙しくても美容院へ行く時間は確保していました。しかも、いわゆる「かかりつけ」で、どこでもいいというわけではありません。そのうえ、この人のカットでなければならないというワガママな拘りを持っているので、ややこしいのですが……。少しでも襟足が伸びてくるとイライラし、妙に落ち着かない気分。いわば月に一度の美容院通いは、私の精神安定剤になっているのかもしれません。
 幼い頃、私は月に二度、床屋さんに連れて行かれました。父が45歳のときの子ですから、当時すでに父は50歳代になっていたと思うのですが結構お洒落なひとでした。じつは17歳のときに逝った父との思い出はわずかしか残っていませんが、いつもきっちりと七三に分けた断髪にしていて、いくつもいくつもあった道楽の一つが2週間ごとの床屋さん通いだったようです。床屋さんに出かける前になると必ず「おい、好子、行くぞ!」と声が掛かかり、その頃の私は父とのお出かけが大好きでした。床屋さんには子供用の補助席があって、父と同じ高さで並んで映る鏡の中の自分が、なんだかとっても晴れ晴れしい気持ちだったことを覚えています。
 月に二度もはさみを入れられるわけですから、これまたいつもおかっぱ頭の好子ちゃん。ちょうど、いまテレビのサランラップのCMに登場している女の子のようでした。そんなすりこみもあってか幼い頃からの床屋さん好きですが、脱毛でカットする髪がないとなれば当分は美容院代も浮き、時間も節約できる。何だかんだと理由をつけて<願ってもないことじゃないの>と、いくら自分を慰めようと思っても<やっぱり、それは違うよなぁ〜>。へたり込んだまま、しばらくの間、昔のあれこれを思い巡らせていました。

鏡のなかの姿に身体が震えて

 しかし、悩んだところで、どうにかなるものでもない。エイッ、ヤアッと意を決し、洗面所に向かいました。鏡に映っているのは、想像していた以上の見事なまでの丸坊主。自分でも初めての「見たことのない私」でした。ただ、バリカンで刈り込んだ野球少年の凛々しさもなければ、可愛げの残る寂聴さんでもない。生え際や襟足にショボショボと頼りなげに残った髪が、かえって残酷さを際立たせているのです。たとえ50歳を過ぎているとはいえ、やはり元は女の子です。そのとき突然、グッグッとこみ上げてくる熱いものを感じました。
 乳がんと診断されるきっかけになった円形脱毛症の比ではない。あのときは500円と10円硬貨の大きさで3個所が脱毛し、それなりに大きなショックを受けて治療にも専念しました。そのかいあって、ほぼ3ヵ月後には元の状態に戻りました。しかし、今日のこの状況は、明らかにそのときとは違います。いってみれば、髪の毛までもが根こそぎ抜けてしまうほど強烈な抗がん剤の副作用なのですから。じっと鏡に映る異様な自分をにらみながら、改めて、抗がん剤の脅威を目の当たりにさせられることで、身体が小刻みに震えてきました。

主治医の言葉を思い出して前向きに

 日本だけでなく世界的に見ても女性に一番多いのが乳がんです。それだけに治療方法も日進月歩。半年前の治療方法が「もう古い」といわれるほどの長足の進歩を遂げる領域です。私が参加した三剤混合の化学療法「FEC」も、当時は最新といわれる治療の一つでした。認容性試験の治験メンバーでもあった主治医から受けた説明には、「この化学療法の副作用の筆頭は脱毛です。しかし、半年後には必ず生え変わってきます」という説明が何度も繰り返されました。突然、主治医のその言葉がよみがえり、頭の中をグルグルと駆け回り<ああ、(あの説明は)こういうことだったんだ!>と、少し冷静な自分を取り戻すことができました。
 化学療法についての説明を受けたとき、自分が納得できるまで質問もし、私の状況をわかっておいてもらいたいと私からの説明もするという、主治医と“やりとり”する時間を意識的に持ちました。そして誰の誘導があったわけでもない、自分自身で「受ける」と決めた治療です。受けると決めたそのときには、脱毛することは十分覚悟していたはずです。それなのに<このうろたえようはナンダ!>と自分を叱咤激励。泣いたって髪が生えてくるわけでもない。だったら<これからの人生で、二度と同じ経験をすることはないだろう。この状況としっかり向き合ってみよう!>。
 足元から崩れてしまいそうな弱い心を、前向きな気持ちに切り替え、支えてくれたのは、なんといっても頭によみがえった「インフォームド・コンセント」の内容にほかなりません。 説明する主治医が「このように理解して欲しい」と願うまま、受け手の私が理解できるように噛み砕いた言葉でわかりやすく丁寧な説明があったこと。そして、治療を受ける当事者として私から伝えることにも耳を傾け、何度も繰り返す質問や確認にも誠実に向き合ってくれたこと。そうしたインフォームド・コンセントを経て、納得したうえで参加した治療であったということが、このうえなく残酷で、辛く哀しい気持ちをこんなにもしっかりと支えてくれる“生きる力”になろうとは——。
 脱毛した自分と向き合いながら、改めて医療が協働作業であることを想い、そしてインフォームド・コンセントの重要性を噛みしめました。