辻本好子のうちでのこづち

No.109

(会報誌 2004年4月15日号 No.164 掲載)

私と乳がん㉓

いよいよ化学療法開始
温もりある叱責に涙がこぼれて

 私が受ける“FEC”という抗がん剤治療は、海外で10年間、日本で認可されている1.6倍量を投与して効果があったという科学的根拠にもとづいた認容性試験。「世界の標準的化学療法を日本の標準治療に導入するため」を目的に、「日本人に耐えられるだろうか?」を試す研究です。その治療に参加する決心をした2日後の沖縄出張で、いつも迎えてくれる賑やかな仲間に囲まれている間は不安も迷いもスッカリ飛んでしまっていました。しかし、翌日、20年来の友人と二人で静かにお酒を酌み交わしたとき、胸の奥に閉じ込めていた赤裸々な心情を受け止めてくれた彼女の胸で、私はがん告知以後初めて涙を流してしまいました。
 彼女は沖縄初の女性記者。前人未到のいばらの道をかき分けかき分け、離婚後、二人の子育てをしながら今は論説委員。足元にも及ばないけれど、似たような人生の選択をした者同士。いまもバリバリ仕事をしている彼女だけに、私の気持ちを理解してくれるものと思って「今まで通り仕事を続けながら治療を受けるつもり」と話すと、いきなり厳しい表情で一喝されました。
 「この期に及んで、まだ仕事中心なんて言ってるの!? 心が病んでる証拠ヨ! 今は二人の息子のために生きることだけを考えるべき。10年以上積みあげてきたことは簡単に消えたりはしない!」。そう言われて初めて、<ああ、辛かったら泣いてもいいんだ、しんどかったら弱音をはいたっていいんだ>と思ったら、スーッと胸のつかえが消えて自然に涙がこぼれてしまったのです。本気で叱ってくれた、彼女の温もりを私は生涯忘れることはできないと思います。

主治医と向き合って気持ちが前向きに

 化学療法の始まる6月12日の朝。早くから目が覚め、病院から帰ったとき横になるベッド代わりのソファの周りを整え、身動きできなくなる4〜5日間の食材の確認で何度も冷蔵庫を点検。どうにも落ち着けない、そのときの気持ちをしたためた日記には『いよいよ始まる。この不安はいったい何? まったく予測もできないことだから? 自分の努力や頑張りだけではどうにもならないことだから? 仕事は? もし途中で倒れたらどうしよう? でも、やっぱり、この不安ともしっかり向き合うことが大切!』と、自分を励ますもう一人の私が、懸命に弱い心を支えようとしています。
 8:30に外来受付を済ませて、まずは採血。ほぼ1時間後、名前が呼ばれて診察室へ。「いよいよ今日からですネ、体調はいかがですか?」と主治医に聞かれて、例によって元気よく「はい、バッチリです!」。あんなに不安がっていた気持ちが、主治医と向き合ったことで一気に前向きに変化。コンピューター画面に映し出された採血結果を一緒に見ながら、点滴後の注意事項についての説明。
 「常に体温をチェックすること。もし38度以上になったら次のような行動を起こすこと。まずは抗生物質(シプロキサン)を1日3回5日間処方しておくので服用すること。ただし“どうしてだろう”とくよくよ原因は考えない! そして、2日間服用して熱が下がらなかったら必ず受診してください」。さらに緊急時には必ず病院へ電話をすることとして、「僕の外来は月曜と金曜。ただ火曜と木曜は手術だから、すぐ電話に出られないかもしれない。もし夜間や休日の場合は、この番号に——」と、緊急の連絡方法についての説明もありました。
 また副作用については、吐き気と倦怠感、下痢が1週間ほどつづき、その後4〜5日が白血球減少のピーク。外出時には必ずマスクで感染予防をすること。そして、脱毛は最初の点滴の2〜3週間後に始まるなど、詳しく書いた説明文書を手渡されました。
 さらに「検査詳細情報」とプリントアウトされた用紙も手渡され、「必ずこのファイルに綴じて、出張先にも必ず持ち歩いてください」。<ああ、これが、山口が同席してくれた“確認”のときに「すべての情報を渡す」と説明のあったファイルなんだ——>。聞けば、病院全体の取り組みというよりも、あくまでも主治医個人の方針としての情報開示のようでした。
 「最近、僕のところにセカンドオピニオンを求めに来る人が増えているが、どんな治療を受けて(前医に)何と言われたか、という情報がほとんどない。セカンドオピニオンを必要とする患者さんが増えることはいいことだと思う。しかし、もし僕の患者さんが、僕以外のセカンドオピニオンを求めたいと思っても、なかなかデータを欲しいとは言い難いだろうとも思う。だから僕はすべての情報を患者さんに手渡すことにしているんです」。情報開示やセカンドオピニオンに対する主治医のポリシーを聞いて、つくづく「この人を選んでよかった」と思いました。

抗がん剤が体内へ

 問診の後、点滴の処方箋が薬局に回って薬が用意されるのに1時間ほど待だされ、11:00に点滴室へ。外来に配置されて2週間目という新人ナースが担当で、点滴のルート確保(針を刺す)は研修医。3つのパックをほぼ2時間かけて身体の中に注入。残っているかもしれない悪い細胞を叩きのめす代わりに、良い細胞にも悪い影響を及ぼす。いよいよ身体の中での“戦闘開始”。2本目のとても美しい透き通ったような赤い点滴パックを眺めながら<ああ、これが抗がん剤なんだ——>。ポータブルCDカセットで大好きな井上陽水の曲を聴きながら、生まれて初めての抗がん剤点滴を体験しました。