辻本好子のうちでのこづち
No.106
(会報誌 2004年1月15日号 No.161 掲載)
私と乳がん⑳
抗がん剤治療を受けるか否か……
説明を受けた日の夜
退院後初めての外来で、最終標本から出された結果と術後の治療についての説明を受け、結論を先延ばしにしたその足で名古屋へ移動。夕方の仕事を終え、翌日、東京の仕事があるため名古屋泊まり。仕事を終えてホテルに着き、何気なくテレビのスイッチを入れるとソウルからワールドカップの中継。開会式の模様と、第一戦の「フランス対セネガル」の試合いが賑やかに実況中継されていました。
「フウ〜〜」と大きなため息をついてケイタイを握り締め、長男と次男に病理の結果と主治医から受けた治療計画をかいつまんで報告。二人とも返す言葉が見つからないらしい。電話の向こうから、オロオロ、ウルウルと戸惑っている顔が見えてくるようで、思わず「……しっかり支えてネ」と叱咤激励。次男には、「約束の旅に行かなくっちゃネ!」と言って早々に電話を切りました。
リンパ節に7つも飛んでいたとは——。しかも飛んでいるはずはないと思っていた所にまで——。ああ〜ほとんど最悪のシナリオになっちゃった——。
音を絞り込んだテレビから、セネガルが先制点、王者フランスが苦戦を強いられている様子が流れている。ジダンの欠場が大きな影響だと、興奮気味のアナウンサーが何度も叫んでいる。呆けたように目がテレビ画面を泳いでいるうちに、息子たちが子どもの頃、夜中に大きな声でテレビ観戦しているのを叱ったことを懐かしく思い出しました。今年は時差ゼロ中継。4年後のワールドカップの中継を観ることができるんだろうか——と、ちょっぴり弱気にも襲われました。
なんで、今日みたいな日にぽつりと独りでホテルにいるんだろう——。そう思うと、急に心に冷たい隙間風が吹きぬけた。突然の虚無感を振り払おうと、心配してくれているあの顔この顔を順に思い浮かべるうち、これが自分で選んだ人生じゃないかと思ったら妙に納得。哀しく切ないけれど、不思議に涙は一滴も流れませんでした。
“自己決定”の重みを実感
“悪いもの”は手術で切り取ってもらった。しかし、取り切れなかった細胞が残っている。その後の治療をどうするか——?
6年前、左腎臓がんの全摘術をお受けになったCOMLの大恩人でもある中川米造先生は、「からだに悪さをする放射線も抗がん剤治療も受けない!」と術後の治療を拒否して2年半後に逝かれました。また、医療の限界を熟知していたある心臓血管外科医は末期の肺がんで全身の骨転移。検査も治療も一切拒否したうえで、最終段階に襲う極限の痛みのコントロールを目的に2週間だけの入院。見事に意志を貫いた旅立ちを目の当たりにさせてもくれました。そうした先人の「自己決定」を心から尊敬していたこともあって、正直、自分の術後の治療をどうするか、考えれば考えるほど心は千千に乱れるばかり。
見えない相手(取り残されたがん細胞)に無差別攻撃をするということは、当然ながらほかの組織にも大きなダメージを与える。しょせん耳学問レベルでしかないけれど、そうした良い情報も悪い情報も嫌というほど届くポジションにいるだけに迷いは人一倍。さらに周囲からは「COMLの辻本さんは、どんな選択をするんだろう?」と、そんな視線が注がれているような気もする。手術を選択するときは何の迷いもなかったのに、抗がん剤治療の選択となると、そう簡単には決められない。いっそ、主治医の“お勧め”に従っておけば楽だったかもしれない。どうして「迷わせて欲しい、時間が欲しい」などと、大きな荷物を自分で背負い込むようなことを言ってしまったんだろう——と、「自己決定」が患者の権利でもあり、かつ重大な責務を伴うことをしみじみと実感させられました。
翌々日、東京から金沢へ移動して、仕事を終えてから友人と久しぶりの食事。彼女も乳がん患者。患者会の世話人を務める彼女の主治医が顧問ということもあって、喫茶店に呼び出そうということになり、抗がん剤治療(FEC認容性試験)についてのセカンドオピニオンを求めました。「バンジージャンプのロープに半分切れ目を入れて“頑張れ”と励まし、背中を押すだけのような治療」と、明確な反対意見。1.6倍量の抗がん剤ということは、副作用も1.6倍強いということ。それだけに、「3週ごと6回の外来点滴を、仕事をつづけながら受けるのはかなりキツイ。仕事を優先したいのなら、ほかにも効果に差のない治療法がある。あえて選択する治療ではない」との意見。
そこまで強い副作用を抱えながら、ほんとうに予定通りの仕事ができるのか——どんな状況になるのか皆目見当もつかない。とはいえ、たとえ副作用のコントロールができなくても、NPO法人を立ちあげたばかりのCOMLの仕事を犠牲にするわけには行かない——。
迷いがピークに達し、独りで悩んでいるだけではどうにも解決の糸口も見つからない八方塞がり。そこで思い切って主治医に手紙を書くことを計画。翌朝、山口に電話して、持ち歩いている診察券と保険証をCOML宛てに送付し、午後に大阪に戻ることのできる3日後に予約外の受診手続きを頼みました。そして、主治医には「もう一度、外来での話し合いの時間を作って欲しい」「6月7日の最終外来に飛び込む」旨の一方的なワガママを手紙で伝えました。