辻本好子のうちでのこづち

No.176

(会報誌 2009年11月15日号 No.231 掲載)

“失礼”をいかに伝えるか

 懇親会の会場での若いドクターの行動に「まぁ、なんて失礼なっ!」と憤りを感じたものの、その場の雰囲気や立場というしがらみで指摘もできぬまま、悶々とした気持ちで帰宅。早々に『広辞苑』で「失礼」の項を見ると<礼儀を欠くこと 礼儀をわきまえないこと 不作法なこと>。ついで「礼儀」を引くと<社会生活の秩序を保つために人が守るべき行動様式 とくに敬意をあらわす作法>とあり、思わずフゥ〜と嘆息。着替えることも忘れて、しばし、あれこれと、考え込んでしまった最近のできごとです。

至れり尽くせりの新人医師研修会

 近畿のある県医師会が、3年前から毎年主催する新人医師のための研修会と交流会。私は初年度よりかかわらせていただき、今年も講師として参加しました。県内の病院に赴任した1年目の研修医100名ほどが一堂に会し、日曜の午前と午後、講義形式の座学とグループで話し合う参加型ワークショッブ、そして、夜は懇親会と濃密な企画です。準備から運営まで、職業人としての先輩である医師会の開業医や病院勤務医が休日を返上して献身的に関わり、後輩への熱い想いを伝える医師会活動のメインイベントのひとつ。年々充実する内容に、目を見張る思いで参加させていただいています。
 日曜日の開催とはいえ、当然ながら研修医には当直勤務もあって、全員参加を目指す企画の最初の難関は病院側の理解と協力。3〜4年前からこの企画を温め、立ちあげに尽力した医師会理事から、県内すべての病院に足を運んで院長への趣旨説明に努め、理解と協力を求める行脚などの苦労話を聞き、改めて若き研修医に寄せる先輩医師の期待の大きさを感じさせられました。
 先輩医師のボランティア精神にも支えられた企画の狙いは、ご多分にもれず、現在、全国津々浦々で喫緊の課題となっている「医師不足」「医師確保対策」。医師免許を取得後、マッチングによって初任地として県下の病院を選んだ1年目の研修医たちに、ぜひとも研修終了後にも県内に残って欲しい……、この地を愛して欲しい……、願わくは県内の人と結婚して……など、白髪交じりの先輩諸氏それぞれの願いは違っても、県行政の同様の切なる願いとが見事に合致して、懇親会には県知事が参加することが恒例になっています。この日もプログラム最後の懇親会場の入り口で「県知事との握手会」が企画され、拍手で迎えられる入場の際、研修医一人ひとりは晴れやかな笑顔で知事としっかり握手するなど、まさに至れり尽くせりの一日でした。

来賓の前でビールを飲み干し挨拶!?

 宴もたけなわ、どのテーブルもまさに無礼講、身分や地位などにこだわらず、堅苦しい礼儀をぬきにした文字通りの大盛りあがり。研修医はつい半年前の学生時代にタイムスリップしたかのような、周囲の大人たちも唖然とするほど底抜けのはしゃぎぶり。厳しい研修の日常の憂さを晴らすような酒宴が最高潮にさしかかって、いよいよ懇親会の最終プログラムです。7〜8人の各々のグループ全員が舞台にあがって、代表者による謝辞が始まりました。
 ワークショップで一日語り合った仲間たちは酒も入ってすっかり打ち解け、どのグループもじつに和気藹々。マイクを握る代表者はすでに決まっていたのか流れもスムースで、型通りとはいえ若者らしい小気味良い謝辞が続きました。中には緊張のあまりマイクを持つ手が小刻みに震えている小柄な女医さんもいれば、マッチョな体育会系男子の堂々と落ち着き払った見事な挨拶に会場からは「おお〜」という感嘆の声、さらには就職先を間違えたのではないかと思うよう吉本系エンターテイナーなどなど、まさに個性のオンパレード。
 そして、終盤に登場したグループ、なんと代表者の手にはビールを注いだコップが握られていました。<……まさか壇上で飲むつもりじゃないでしょうネ?……おいおい、そこで飲んじゃいけないよ!>と、ハラハラしている目の前で、挨拶の景気づけのつもりなのか豪快に飲み干しおもむろに挨拶を始めたのです。<唖然……!>彼の目の前の中央テーブルには知事、医科大学長、さらには医師会会長をはじめ外部から招かれた講師面々。まさにその目の前で、です。瞬間、同席の大人の誰もが一様に驚きの表情で固まり、見てはいけないものを見てしまったような気まずい空気が流れたものの、壇上の彼に向かって誰一人注意する大人はいませんでした(私も同様に)。そして、折角の懇親会が急転、<なんと失礼な態度……でも、何も言えない情けない私……>と一気に気分がふさいでしまったのです。

問われる大人と責任

 そもそも、彼自身、自分の行為が「失礼なこと」「礼儀をわきまえない不作法なこと」だという認識も悪気もなかったのだろうと思います。彼ばかりか、会場の若き研修医たちの多くは、人として守るべき礼儀などという古めかしいことなど誰からも教えられてこなかったのかもしれません。しかし、いかに悪気がなくとも、無意識、無自覚であるうとも、やっぱり敬意のかけらも感じられない行為は「失礼なこと」だという“常識”ぐらいは、医師以前、まずは人として身につけていて欲しいと思いました。
 偏った見方かもしれませんが、医学部を目指すために学校と塾に通うだけの勉強三昧、家庭でも王子様、お姫様と大事にされ、親からはもちろん教師や周囲の誰からも注意されたり叱られたりするような経験がなかったかもしれない彼等(若者たち)。懇親会終了後、帰り際にロビーの向こうで仲間たちと大騒ぎしている「彼」を見つけ、一瞬、掛け寄って「ああいうことは失礼なことなのよ!」と、老婆心のひとことを伝えようかと迷いはしたものの若者集団に分け入る勇気も気概もない自分が情けなくて、心にしこりを残して帰路につきました。何より若者の愚行をただ非難するだけの、大人の私たちも同罪なのかもしれません。