辻本好子のうちでのこづち

No.148

(会報誌 2007年7月15日号 No.203 掲載)

私と乳がん(62)

リウマチ専門医を受診した病院は電子カルテ導入日!
長〜い待ち時間の理由

 術後3年目の初夏、3ヵ月ごとの定期検査で「異常なし」といわれたにもかかわらず、目覚めるときの左指のこわばりに痛みまでもが加わり……。不安が募って意を決し、リウマチ専門医を受診することにしました。
 住まいから5分の距離にある病院は、じつは私の乳がんが最初に確定診断された因縁の病院でもあります。そのときの外来外科医の対応にどうしても納得できず、いきなりの告知がなされた直後にセカンドオピニオンを求める決心をして即実行。それ以後、一度も足を向けていませんでした。今回は“とりあえず”リウマチでないことさえわかればいいという気持ちだったこともあって、迷わず受診しました。
 この病院の診察カードを持つ再来患者ではあっても、予約なしの受診です。もちろん長く待たされるであろうことは覚悟していましたが、さすがに3時間を超えてきたころから苛立ちとともに<何か手違いでもあったのかしら?>と心配になってきました。内科外来受付のナースに声を掛けてみると、「じつは……今日、電子カルテを導入したばかりで、ちょっと手間取っているみたいなんですよお〜」と申し訳なさそうな弁解。仕方がない、やっぱり待つしかない、こんな日に来てしまったのも定めとあらば、もう少し我慢しようと自分に言い聞かせてじっと待っていました。
 ようやく名前が呼ばれ、診察室のカーテン越しに「失礼します」と声を掛けると「はい、どうぞ」。う〜ん、どうしてここで「お待たせしました」の一言が言えないのだろう。その一言があるだけで患者の苛立った気持ちがどんなに鎮められるものか、初めて会うドクターに対してすでに小さなマイナス感情が胸に沸々。いやいや、そんな気持ちを顔に出してはいけない、とりあえず感じてない振りをしなくちゃと、胸に滞った小さな怒りを必死で押さえ、できる限りの平静を装って診察室の椅子に座りました。
 と、そのとき、私の目に映ったのは、何やらブツブツつぶやきながらコンピュータを睨みつけているドクターの姿。新しい患者が座っていることは気がついていても、とてもそちらに気持ちが向けられない状況が目の前で展開されています。しばらくの間、前の患者さんの記録(画面)に必要な項目を打ち込むことに集中しておられる姿を眺めているしかありませんでした。「うん、これでよし」とうなずいてから、おもむろに私と向き合って「さて、どうされましたか?」とようやく私の存在を認識してくださったようです。

システムだけ最新にしても……

 とりあえず乳がんの治療歴と現在もホルモン剤を服用中であること、そして、2〜3ヵ月ほど前から左手の指のこわばりが強くなっていることなど、病歴と自覚症状を淡々と伝えました。するとコンピュータ画面を睨んだまま、「ちょっ、ちょっと、待ってください。え〜と、ひ・だ・り・の・ゆ・び・に・こ・わ・ば・り、ですね」と人差し指一本でキーボードに1文字1文字打ち込んでおられるのです。思わず、見てはいけないものを見てしまったような、いたたまれない気持ちになってしまいました。画面とキーボードだけを交互に睨んで「それで、どうしました?」と問われると、思わず私も画面を覗きながら次に打ち込んで欲しい言葉をたどたどしく語る、そんな自分がおかしくてたまりませんでした。正直、どこまで何を言ったのかを忘れてしまうほどの時間のズレに戸惑いすら感じました。
 なるほど、これだから、長いこと待たされてしまったんだと、ようやく合点がいきました。
 ポツリポツリと文字を打ち込みながら、「今日から電子カルテを導入しましてねぇ〜」と誰に言うでもない独り言をブツブツ。まさか診察室で、外来ナースと同じ言い訳をドクター自身から聞くことになろうとは思ってもいませんでした。しかし、まさか<代わって打ちましょうか?>とも言えません。この日は意味もなく、また配慮のかけらもない時間空間で、ただただ耐えることを試されているような気分でした。
 とりあえず採血しましょう、という流れになって処置室へ行くと、ここにも数人の患者さんが順番を待っています。電子カルテ導入という進取のシステム改善には取り組む病院であっても、残念ながら、患者を待たせないための現場の努力や工夫、あるいはスタッフの意識改革の片鱗は何一つ伝わってきません。2階の隅に位置する処置室が、他のスタッフの目が届きにくい死角にあるからでしょうか。その一角には何やらどんよりと澱んだ空気が流れているように思えてなりませんでした。すでに午後を回り、空腹も手伝って、次第にイライラする自分を感じていました。とそのとき、抑揚のない声で「辻本さまぁ〜」と呼ばれ、若い背の高いナースの前に左腕を捲りあげて座ろうとしました。

※これは2005年の出来事です。