辻本好子のうちでのこづち

No.145

(会報誌 2007年4月15日号 No.200 掲載)

私と乳がん(59)

患者心理に大きく影響する診察室の“空気”
明らかに変化した主治医の雰囲気

 術後1年目に突然、目の前から姿を消して病院を変わってしまった主治医と1年半ぶりの再会。初めて受診する地域病院の診察室で向き合い、空白期間などなかったかのように打ち解けて話をするうち、目の前の主治医に対して以前とは違う何かを感じていました。
 もちろん診察室内の構造が違っていることは当然ですが、前の病院でお会いしていたときよりもうんと柔らかい雰囲気が漂っているのです。まず表情がやわらかいこと、そして、会話そのものにも以前とは違う余裕のようなものを感じたのです。診察の途中からずっと、<なぜかしら……?>と不思議な気がしてなりませんでした。
 <人は誰でも(アイドルやタレントでなくても)、わざわざ追っかけてきてくれたんだと思うだけで、訳もなく嬉しくなるものかもしれない。いやいや、そんなことじゃないはず。きっと、もっと別の理由があるに違いない!><ひょっとすると国立系というお堅いイメージの大病院から民間の中規模地域病院という規模や環境が、なんらかの影響を与えているのかしら?それとも……>。
 主治医と向き合い、久しぶりに心弾む会話を楽しむ一方であれこれ思いをめぐらしていました。そして、主治医の周辺を眺めているうちに<ああ、なぁ〜るほど!>。確かに診察室の中に一つ、以前の病院の診察室とは大きな違いがありました。それは、外来ナースが主治医の後ろに立って診療のアシスト(補助)をし、主治医と私の会話に無言ながら、にこやかに参加していることでした。

悩み、気を遣い合う診察室

 乳がん患者が受診するとき、上半身裸になって乳房を触診されるのは必要不可欠です。もちろん手術をした側だけでなく、転移を確認するためにも別の側の乳房も丁寧な触診を受けます。さらにドクターの目の前で両手を高々と挙げると、リンパ節にしこりはないかと鎖骨から首、そして脇にかけて、神経を集中したドクターの指先が胸を這い回るのです。乳房を触診されている間、目をつぶっていたほうがいいのか、あるいは天井の一点でもじっとにらんでいるほうがいいのか、患者としても迷うところですが、そんなことは誰も教えてはくれません。歯科受診でも、大きな口を開けて歯を削られているときに目を開けているべきか、それとも閉じているべきかと悩みますが、多分、正解はないと思います。
 乳がん患者を診察するドクターが男性であれば、やっぱり目の前の女性患者に少なからず気を遣うことがあって当然でしょう。たとえその時間がわずかだとしても、その瞬間、密室とも言うべき狭い診察室内に両者の息の詰まるような緊張感が交差します。そこに第三者の立場であるナースがいるかいないかによって、場の空気や雰囲気はおおいに違ってくるでしょう。
 ただ、もちろん患者のなかには、主治医に胸をはだけることは諦めもするが、そこに当然とばかりに何の断りもなくナースが立ち会っていることに強い拒否感を抱く人だっているはずです。もちろん、そのときは患者もはっきりと意思表示をして断ればいいのですが、しかし、断るというのは結構勇気がいることかもしれません。だからこそ、外来診察室にナースが同席することの是非について、患者の希望を確認するシステムがそれぞれの病院にあってほしいと、いつも医療者向けの講演で語っているのです。

余裕がなくなっている医療現場

 以前かかっていた国立系の病院の外来では、いくつか並ぶ診察室の奥が通り抜けの通路になっていて、そこを行ったり来たりするナースの姿を垣間見ることはありました。しかし、それは外来ナースが自分たちの業務や役割にあたふたしているだけで、診察に立ち合って患者に同席することはありませんでした。これ以上忙しくさせないで、とばかりの拒否感を背中で表しながら走り回るナースに笑顔もありませんでした。もちろん、せめて患者が胸をさらけ出している間だけでも場の空気を和らげるために寄り添っていようなど、そんな配慮や優しさを抱く余裕は彼女たちに見受けられませんでした。おそらく外来ナースだって、本来はそうした優しさを持っていたのでしょう。しかし、国立系ばかりか大学病院なども独立行政法人化という厳しい時代の変化にさらされる今日、ドクターやナースの人的配置はますます厳しくなるばかりです。とくにナースの場合、どうしても病棟に手厚く外来は手薄になってしまいます。しかも外来ナースはパートを含めた必要最低限の人員で、モチベーションもあがらぬまま、ただただ忙しいというのが現実。残念ながら患者への配慮や思いやりなど望むべくもありません。
 そんなことに気づいたとき、3ヵ月ごとに合計5回、前の病院に転任してきた新しいドクターの診察で、結局、一度もちゃんと目も合わせてくれなかったことがフッと心に浮かびました。ナースもいない診察室で、彼は彼なりの緊張と遠慮があってのことだったのかもしれない……。しかし、それにしても、患者が挨拶したときくらい会釈を返すのは医療現場以前の常識だと、やっぱり思いました。そして、改めて、病院を変わった環境の変化も含め、主治医を“追っかけて”よかったと胸をなでおろす気持ちでした。

※これは2004年の出来事です。