辻本好子のうちでのこづち

No.143

(会報誌 2007年2月15日号 No.198 掲載)

私と乳がん(57)

相性の合わない心の重さを実感
なかなか転院の決断がつかず……

 手術後1年を無事に経過した2003年の春頃には、通院は3ヵ月ごとになっていました。ただ私は化学療法の後に25回の放射線治療を受けているため、外科受診に加えて放射線科の受診も必要でした。外科と放射線科の診察が終わって会計を済ませ、処方箋を持って近くの薬局で3ヵ月分のホルモン剤を受け取る——。これが受診日の一連の流れです。もちろん予約制をとっていた病院ですが、とくに外科は患者が多く込み合うため、待ち時間はいつも2時間以上。どうしても午前中一杯かかってしまう、いわゆる半日仕事。まさに病気になって治療と向き合う病院通いは、大切な人生の時間を奪われることに他なりません。
 新しく赴任した主治医には、出会った瞬間から強い違和感を覚えつつも、仕事の合間を縫って受診していただけに、一度の受診で一連の流れが済ませられることは、なによりありがたいことでした。また自宅からもCOMLの事務所からも20分もかからない利便性は、病院を選ぶ際に優先した条件でもありました。ちなみに、すでにその頃には前の主治医の新任病院はわかっていましたが、通院に1時間ほどかかる地域にあったのです。
 なんとなく相性が悪い……という、それだけの理由で新しい主治医との縁をすっぱりと断ち切って、外科だけ前の主治医を追いかけて病院を替わるという決断がなかなかできずにいました。日頃はそれほど優柔不断な人間ではないつもりですが、不満を募らせながらその後もずるずると通院を続けることになってしまいました。

深まる一方の心の溝

 とはいえ、COMLの最大のテーマは「患者と医療者のよりよいコミュニケーション」。もちろん私自身にとっても生涯をかけて取り組もうと心に決めた人生のメインテーマでもあります。ましてや市民向け講演会などでは「賢い患者になりましょう!」をテーマに『新 医者にかかる10箇条』を基にしながら、これからの患者にはドクターやナースと“うまくつき合うコミュニケーション能力”がいかに大切であるかなどと偉そうに語ってもいるわけです。啓発の側に立つ多少の役割認識も持っていましたから、私なりに新しい主治医と少しでもよい関係を築こうと、受診のたびにあれこれコミュニケーションを働きかける努力はしてみたのですが……。
 当時の手帳を見ると、新しい主治医になって3度目の外科受診をした日の欄に「ベルトコンベアの製品をチェックする流れ作業のよう」というメモが残っています。また、その半年ほど前からホルモン剤の服用を始めていたのですが、副作用として子宮がんの危険性が高いことが示されていました。前の主治医からも、年に一度は子宮がん検診を受けるように注意されていました。服用後どれくらい経った頃に検診を受けたらよいかと相談した日のメモには、「自分で勝手に判断しろと突き放された気分」と書いています。
 やはり人間の相性という問題は、簡単に解決できるものではないようです。たとえば同じことを相性の合う人から言われたなら、もっと違う受け止め方ができたかもしれません。少なくとも腹立ち紛れの感情的なメモを残したりはしなかったでしょう。<理屈じゃない、ただなんとなく相性が悪い……>だけなのですが、受診を重ねるごとに感じる微妙なズレはどんどん深まっていきました。
 最初の出会いで受けた悪しき印象で第一ボタンを掛け違えてしまったのか、それとも前の主治医への信頼感が邪魔をして私の受診態度に問題があったのか……。関係づくりを働きかけようと気持ちを切り替え、前向きになろうとするのですが、受診のたびに感じるズレはどうすることもできませんでした。ただ、この間、転移や再発の兆候もなく、特段、主治医と込み入った“やりとり”をする必要がなかったことがなによりの幸いでした。

1年半後に転院を決意

 考えてみればたかだか3ヵ月に一度、外科診察室で主治医とわずかな時間向き合うだけのこと。気持ちを切り替えて割り切ることさえできれば、むしろ日常の利便性を大切にすることのほうが当時の私には重要でした。もちろん、人生の機微を語り合う恋人のような関係を望んでいるわけでもないのですから、そこそこ“ほどよい距離”であればいいわけです。そんなこんなのあれこれを、自分への言い訳として考えながら、結局5回、つまり1年半の間、ずるずると引きずってしまいました。いま振り返ってみても、なんとも情けない話です。
 ただ救いだったのは、放射線科の主治医に強い信頼感を寄せることができたことです。ほとんど触診もしてもらえない外科受診のあと、手術の傷口はもとより放射線を浴びた患部やその周辺に引きつれや皮膚の異常、もしくは転移や再発の兆候はないかとじつに丁寧な診察。そして、日常生活のなかで違和感を覚えることはないかと、問診(メディカルインタビュー)でしっかり向き合っていただきました。当時、私がかかっていた病院には放射線治療医は一人しかいませんでしたから、どんなに多忙だったかは想像に難くありません。しかし、たとえ短い時間であっても、私の日常や気持ちの変化に興味と関心を向け、心に届く言葉かけが納得につながって、悶々とする気持ちが支えられていたのだと思います。
 そうして結局、一年半ののちに前の主治医を追いかけて病院を変わりました。

※これは2003年の出来事です。