辻本好子のうちでのこづち

No.125

(会報誌 2005年8月15日号 No.180 掲載)

私と乳がん㊴

外来化学療法室の怒鳴り声
まだまだ貧しい現場のコミュニケーション

 8月14日、第4回目の点滴の日。
 8:30に採血をすませ、待たされること2時間。 10:40過ぎに、ようやく名前を呼ばれて診察へ。この日、主治医は夏休みということで、初めてお会いする30歳そこそこの女医さんの代診でした。
 もちろんというべきか、それが当然の日常の医療現場なのか、自己紹介もなければ目も合わせないまま、いきなり「いかがですか?」。いまさらこの程度のことで腹を立てるつもりもないけれど、相も変らぬ診察室の貧しい会話にガッカリ。<今日だけの担当医! 若い世代だから「パターナリズムの時代と違う」とあまり期待はしないこと!>と自分に言い聞かせました。
 たしかに「ハイ」と「イイエ」でしか答えられないような閉ざされた質問より、患者が何を答えてもいいオープンクエスチョンが良好なコミュニケーションにつながる、と教科書には書いてあります。<でもネ、いきなりってのはないでしょ!>と心のなかのブツブツは、なかなか消えません。いったい何を答えたらいいのか、心も定まらないままに「そうですねぇ〜」。そっけない返事で言葉をつなぎ、私は無意識・無自覚に女医さんの手元の血液検査の結果表にまなざしを注いでいました。
 ……ああ、この患者は血液検査の結果が心配でならないんだ……と、思われたに違いありません。「白血球3000、好中球1600なので点滴は大丈夫ですからネ」と、今度は目線が上から注がれるような説得調子。<オィオィ、急に優しさを押つけてこないでヨォ〜>と、逃げ出したくなるような気分になりました。さらに追い討ちをかけるように、「血圧が94/52でちょっと低めですネ、しんどくないですか?」と覗き込まれ、子ども扱いされたような気分。<いやはや患者とは、かくもわがままな存在なり>と申し訳なくも思い、ここで初めてのアイコンタクトが取れたのです。目が合ったところで、すかさず私はニッコリ微笑み返し。「はじめまして辻本と申します。今日はよろしくお願いいたします」と挨拶。すると突然、鳩が豆鉄砲を食らったようなとまどいの表情と、困ったような笑顔。そのときの彼女は、なぜかとてもチャーミングでした。
 <この女医さんも悪い人じゃない、きっと、いい人なんだろうなぁ〜。でも、それにしても……。もちろん“お愛想”を言って欲しいなんて思ってるわけではないけれど、医療者という類の人たちって、どうしてこんな紋切り型の会話しかできないんだろう?>。COMLのSP(模擬患者)活動も10年以上、コツコツと努力を重ねてきたつもりだけれど、アヒルの水かきでしかないのかなぁ。いくら医療現場が忙しいとはいえ、あまりにも変わらない貧しい会話にちょっぴり淋しい気持ちになりました。

ナースの対応は“火に油”

 診察が終わって点滴まで、さらに待つこと2時間あまり。患者の目の前でコンピューターに点滴薬の処方箋が打ち込まれ、情報をキャッチした薬剤部で一人ひとりの薬を混合する調剤作業がおこなわれるのですから、時間もかかるはず。病院の待ち時間対策としてIT化の必要が叫ばれていますが、人の営みでおこなわれる“行為”まで機械化できないとなれば、そんなに簡単に解決できる問題ではないようです。
 ようやく点滴室に招き入れられ、この日も研修医が点滴のルート確保を担当。声もかけずに仕切りのカーテンを開けると、いきなり「いかがですかぁ?」。思わず噴き出しそうな気分になってしまいました。いつもは気分を紛らわすために好きなCDをイヤホンで聴きながら、静かな時間を過ごしていました。ところがこの日は、いつになく点滴室が賑やかだったのです。
 私の点滴が始まった当初から、カーテン越しにブツブツと中年男性の不満そうなだみ声が聞こえていました。ところが突然、「4回も(針を刺されて)痛い目にあったのに、それでも金を払わなきゃならんのかッ! いい加減にしろ! 責任者を連れてこい!」と大声にエスカレート。その声を制するように「すみません、もう大丈夫ですから。ほかの患者さんにご迷惑ですから、静かにしてくださいヨ」というナースの声が聞こえてきました。ところが、その声の表情からは少しも申し訳ないなんて思っていない本心が透けて伝わってくるようだったのです。以前、私も採血のときに針を5回刺されたことがあったのですが、怒鳴り散らしている患者さんには共感できず<いい加減にしたら〜>という多少の気持ちもありました。
 しかし、それにしてもナースの対応は、明らかにその場しのぎ。ほかの患者さんに迷惑だからという、いわば病院の面子を大切にすることはあっても、患者に対する誠意のかけらすら感じられません。聴いているだけの私も、次第に彼の憤りに共感したくなってきました。患者の話を聞いているのかいないのか、少なくとも患者さんの怒りにしっかりと向き合おうという気持ちが感じられないのです。
 そんなナースの対応がさらに火に油を注ぐのでしょう。彼の怒りはどんどん高まり、怒鳴り声が響く点滴室内に妙な緊張が走っていました。
 結局、外来師長と名乗るナースがやってきて、カーテンのなかでなにやらボソボソ。どんな解決策を提示したのかは聞こえてこなかったのでわからずじまいですが、どうやら患者さんの気持ちは治まったようです(ほんとうは、そこのところが知りたかったんですが……)。
 こうした患者さんの怒りや不満が、毎日のようにCOMLの電話相談に届いてくるのです。これといった明快な解決策がないことがほとんどですが、それにしても医療現場の初期対応に大きな鍵が潜んでいるんだなぁ〜と、改めて実感させられる思いでした。