辻本好子のうちでのこづち

No.123

(会報誌 2005年6月15日号 No.178 掲載)

私と乳がん㊲

凍りついた気持ちを溶かす薬“希望”

 1997年9月末に亡くなられた阪大名誉教授・中川米造先生ご自身が、患者になられてから盛んに語っておられたのが“希望”というキーワード。最後のお見舞いにうかがったときに、「患者は死ぬ直前まで希望が捨て切れない。たとえどんなささやかな希望であっても、希望を持つ力で支えられる気持ちは計り知れない。もう私に語る時間はないけれど、希望を持ち続けることの大切さを患者さんに、そして、その希望を支えることの大切さを家族や医療者に語りつづけて欲しい」と、想いを託してくださいました。

自らの与えた希望

 端からみれば「そんなに無理しなくたっていいのに……」と思えるような、妙な頑張り。もし当人でなかったなら「もっと素直になったら?」「そのほうが楽になるのに」と声を掛けずにはいられない、そんな意味のないこだわりに支配されていた抗がん剤治療後の数日間。しかし、逃れようのない苦痛と向き合っていると孤独感が募り、気持ちがどんどん凍りついてしまうのです。そうして知らず知らず、病気に支配されて気持ちがどんどん「病人」になっていくのでしょう。
 ただ仕事のパートナーである山口には(それがいつになるかはわかりませんが)、きっとこの先、もっともっと迷惑をかけ、もっともっと世話にならなければならないときが来るに違いありません。抗がん剤治療の苦しみは、必ず時がたてば消えていくもの。見通しがついているからこそ、耐えられるのです。とっておきの甘えは、いつか来る“そのとき”まで取っておきたいと思ったのです。
 しかし、それでも抗がん剤治療後の数日間、身動きできないでいると<なんで私が……>と鬱のような気分に落ち込みます。そんな考え方やものの感じ方を変えたい、凍りきってしまった気持ちを溶かしてやろうと、好きな音楽を聴いたり画集を眺めたりしてリラックスしようとあれこれ努力してみました。しかし、やっぱり“リラックス”って努力するものではありません。そんなときに、なにより効果のあったのが“希望”という妙薬でした。
 2回目の化学療法からよみがえったとき、つぎの副作用と立ち向かう自分に“希望”を与えてやろうと秘かな計画を立てました。
 3回目の抗がん剤治療後のスケジュールの沖縄出張に、次男坊を「かばん持ち」と称して旅に誘ってみようという計画です。今まで次男と二人だけの旅をしたことなどなかったので、どんな返事が返ってくるのかは少し不安でした。しかし、状況が状況であるだけに、よほどの事情でもない限り無下に断りはしないだろうと高をくくってもいました。もちろん、がん患者になったことを武器にしてはいけないと心に誓ってはいましたが、この際、息子になら多少の甘えは許されるだろうと無意識・無自覚に思ってもいたのでしょう。心配してかかってきた電話のついでに打診したら、思いがけず感触のいい返事でホッとしました。
 3回目の抗がん剤治療の副作用に耐える間、ずっと沖縄へ行ったら……あの仲間たちに会わせたい、あの岬に行って一緒に海を眺めよう、あの店であれもこれも一緒に食べたい……と、そんなことばかり考えていました。そうした“希望”を抱くことでずいぶん気が紛れたのか、吐き気まで半減してくるから不思議です。中川先生のおっしった“希望”の持つ威力と、その大切さを自分自身のこととして実感させられました。

次男と沖縄へ
待っていた優しさと剛速球

 3回目の抗がん剤治療の1週間後、愛知県看護協会の仕事を終えた翌日、次男と名古屋空港で待ち合わせて2日間の仕事を兼ねた4泊5日の沖縄へ旅発ちました。
 沖縄に着いたその日の夕方に沖縄中部病院の院内研修で話をしたあと、友人のドクターが声を掛けて集まってくれた人たちとの楽しいひとときをご一緒しました。医療関係者が多いということもあったので、いっそ帽子を脱いでつるっぱげ状態をさらけ出してしまった方が気が楽になるかなぁ〜とも思ったのですが、やっぱり場の雰囲気を暗くしてしまうような気がしてついつい遠慮してしまいました。——決して、必要以上の心配なんてしてないからネ——といった配慮や優しさが、私を包んでくれました。
 そこに仕事の都合で少し遅れた古い友人、敏腕ジャーナリストの彼女が登場。配慮も優しさもなんのその、私の顔を見るなり「よかった、よかった、どんなに心配していたことか! 本当に元気そうでよかった!!」と、いきなり剛速球をぶつけてきました。それまで、多少、よそ行きの気分でいた私も彼女の勢いに気負されて、一気に体中から力が抜けていくような気分になってしまいました。
 彼女は、抗がん剤治療に迷っていた私に「息子たちのためにも、しっかりと治療しなきやだめヨ」と、力強く励ましてくれた人です。それだけに治療中の私の姿を見て、複雑な気持ちを抱いてくれていたのかもしれません。いきなり直球を食らった私は、それからの数日間、天を突き抜けるような真っ青な沖縄の空とトルコブルーのような沖縄の海、そして溢れるような沖縄の人たちのホスピタリィティに心行くまで癒され、贅沢な時間を過ごすことになりました。