辻本好子のうちでのこづち

No.120

(会報誌 2005年3月15日号 No.175 掲載)

私と乳がん㉞

かつらも帽子もかぶらない“勇気”のきっかけ
あった!! しゃっくりの解決法

 ただただ不安と恐怖の気持ちのままに立ち向かった初回の化学療法とは違って2回目の点滴はそれなりに落ち着いていました。覚悟というか、諦めというべきか、少なくとも逃げ出したいという気持ちにはなりませんでした。けれども正直、点滴を受けている間中、<どうして抗がん剤治療なんか受けようと思っちゃったんだろう>と後悔にも似た、ザワザワとした気持ちで揺れ続けていました。3週ごと6回、今日を終えたとしてもまだ4回も残っている——と、数字だけが重くのしかかり、先の見えない不安に激しく揺さぶられていたのです。
 しかし点滴から2日目と3日目は、前回に比べると胸苦しさやしんどさが幾分軽いような気がしました。吹き荒れる嵐の真只中に身は置いていても、逆らわずにじっとしてさえいれば、必ずこの嵐は抜けていってくれる。前回の経験で、そんな見通しが十分に立っていたからだと思います。
 しかし、やっぱりしゃっくりだけはどうにもなりません。前回ももだえ苦しみ、点滴前の診察でなんとかならないかと主治医に相談したのに軽くいなされ、どうしようもないことなんだと自分に言い聞かせて諦めたはずなのに——。それでも、やっぱり、ちょっと体を動かすだけで「ひっく、ひっく」と始まり、始まったら最後、いったいいつまで続くんだよぉ〜と恨めしくなってくる。そのうちだんだん腹が立ってきて、誰にもぶつけられない怒りがむくむくわいてくる。そんな副作用です。
 ところが、ところが、です。
 2回目の点滴の苦しみが、そろそろ抜けていってくれる4〜5日目のことでした。知人の血液内科のドクターから届いた見舞いメールの返信に、気持ちを鼓舞したい思いもあって「とりあえず生きてま〜す」などと多少のおちゃらけ気分でキーボードをたたいているうち、フッと<そうだ、相談してみよう!>。そこで「じつは、しゃっくりが辛くてしょうがないのだけれど、なんともならない副作用なのかどうか?」と質問をしてみました。すると、間髪入れず「柿の葉を煎じた薬を処方してもらえば大丈夫」という返信メールが届き、目の前が急に明るくなりました。そして次回の診察で、なんとしても主治医の協力を取りつけようと心に決めました。

許せなかった自分の“偽り”

 点滴がおこなわれるのは毎回、水曜日で、回復を待って仕事に復帰するのが翌週の月曜日から。2回目のときも3泊4日の東京出張からの現場復帰となりました。じつはそのなかのある仕事がきっかけで、その後にかかわる重大な決断につながった、忘れられない出来事が私を待っていたのです。
 東京女子医大での講演です。
 創立者・吉岡彌生氏を記念した800人収容の大講堂「弥生記念講堂」で催された院内研修。プログラムの冒頭は、副院長である医療事故調査委員長から職員に、2001年3月に発生した心臓手術の事故調査の経過と報告がおこなわれました。ベッド数1423床のマンモス病院で起きた事故の顛末を院内の職員が知るすべは、テレビや新聞の報道でしかありません。それまでは東京女子医大の職員であることが誇りですらあったであろう彼らが、予想以上の世間の厳しい批判に打ちひしがれているときでもありました。会場に座りきれない職員が周囲の壁に立って一分の隙もないほど埋め尽くす大盛況。しかし、事故調査の報告に関心があって参加したに違いない彼らは、私の講演に移れば波が引くように職場に戻って、会場に残る人はわずかになってしまうだろうと腹をくくっていました。ところが、ほとんどの参加者が身動きもしません。患者の立場がいったい何を言うのだろうと、強い関心が向けられました。
 厳しいほどの緊張感に静まり返った舞台の中央に立った私は、開口一番、「患者の私たちは、医療者にうそ偽りでごまかされること。あるいは隠しだてをされて、馴されることが何より一番辛く切ないのです」と語りかけました。
 じつはこの日、女子医大の職員の方に伝えたい想いを構成する準備の段階で、どうしてもと強く願った患者の立場としての第一声です。ところが、「うそをついてくれるな」と懇願する私に大きな隠しごとがありました。抗がん剤治療の副作用とはいえ、つるっ禿げになっていることをかつらで隠していた時期ですから。言っていることとやっていることが違うという“偽り”が、どうしても自分で許せなくなっていました。悩みぬいた末、前日にデパートで帽子を購入し、当日、かつらをホテルに置いたまま帽子をかぶって出かけ、舞台に立ったのです。
 「患者に隠しごとをしてくれるな」と懇願したあと、なぜ帽子をかぶって舞台に立っているのかを正直に語り、「ほんとうはこの帽子も取って、すべてをさらけ出したい気持ちだけれど、いまの私にその勇気はありません。申し訳ありません、お許しください」と頭を下げると、会場から大きな拍手が起こりました。
 その拍手を聞いたときからです。かつらをかぶらないで人前で身をさらす自分の勇気を、しっかりと自分で支えられるようになったのは。そして、その数日後の講演で、とうとう、うっとうしいと感じていた帽子さえ取ってしまいました。いってみれば“あるがままの私”をさらけ出して話を聞いてもらいたいという気持ちが、どんどん強くなったのです。
 『語る』ことは、『聴く力』に支えられることなんだ——と、まさに患者の身になって改めて痛感したコミュニケーションの大切さでした。