辻本好子のうちでのこづち

No.112

(会報誌 2004年7月15日号 No.167 掲載)

私と乳がん㉖

自己決定を支える周りにも覚悟が必要(後編)

山口 育子

まだ薬が切れていない……

 「新幹線の車中で倒れた辻本を迎えに来ました。お世話になりました」と東京駅の救護室に駆け込むと、職員の方から「保護したときは血圧が70まで下がっていた」「迎えに来るという連絡がなければ救急車を呼ぶところだった」と聞かされた。ずっと眠っているというベッドのカーテンを開けると、辻本がうっすらと目を開けた。もう安定剤はすっかり抜けているだろうと思って、迎えに来た言い訳をしようと声をかけた瞬間、何とも言えない安心した表情が辻本の顔中に広がった。そして、一言二言交わす言葉を聞いた瞬間、まだ薬が切れていないことがわかった。ああ、来てよかったぁ……。こんな状態では、とても一人で大阪に帰ることはできない……。
 大切な資料を入れた紙袋を車内に忘れてきたらしく、すでに品川の湾岸にある車輌所に運ばれていて、そこまで取りに行かないといけないこともわかった。「ここだと落ち着かない」とつらそうなので、ともかく救護室を出ることにした。
 「私の自己管理の至らなさで、大変ご迷惑をおかけしました」。声の質まで変わり、ロレツも回らないのに、辻本はそれでもなお救護室の人たちに丁寧に挨拶しようとする。心のなかで「いつもはこんな話し方じゃないんです!」と叫び、心のなかだけで涙を流した。
 ホテルで休もうと提案したが、レストランでいいと言うので移動する。フラフラしていて、一人で歩けない。店に到着すると、飲み物だけ注文して、少し落ち着くまで話をすることにした。しきりに寒いと言うので、店の人に膝掛けを貸してもらった。そのついでに事情を話して、忘れ物を取りに行く間、様子をみてもらうように頼み、品川の車輌所へ忘れ物を取りに急いだ。
 小1時間ほどして戻ってくると、辻本は膝掛けをすっぽりかぶるように肩からかけ、座ったまま昏々と眠っていた。隣の席の若いカップルが訝しげに辻本を見ている。起こすと「お腹が空いた」と言うので、サンドウィッチを1皿頼み、一緒に食べた。
 そのころには、「今回のことでお金がかかったと思うし、今後のこともあるので預かっておいて」といくばくかのお金を預けるぐらいに気遣いをする辻本に戻りつつあった。少しずつ正気になってきたので、翌日と翌々日の仕事のキャンセルを提案。これは素直に聞き入れてくれた。そこで、講演先に電話を入れ、事情を説明してキャンセルのお願いとお詫びをした。そして、ゆっくりと休養をとったうえで、夕方5時頃、大阪に戻るため二人で東京駅のホームに向かった。
 しきりに寒いと言っていたので、品川から戻る途中で黒いショールを買っておいた。6月というのにそれを肩にかけ、まだフラフラとしか歩けず、支えられている姿は、どこから見ても“怪しげで変な人”だった。皆が振り返る。自動販売機でお茶を買うのに、お金の入れ方すらわからない。新幹線が大阪に向けて動き出したあと、徐々に声と話し方はいつもの様子に戻ってきた。そして、浜松から京都辺りまで、安心しきった表情で眠りこくっている辻本を見て、私はようやく心の底から安心した。

患者の自己決定は周りも問われる

 数日後、問題の一日について、辻本はかなり断片的な記憶しかなくて、サンドウィッチを平気で食べたことはもちろん、ふつうに話していた帰りの新幹線車中の会話すら、覚えていないことがわかった。おそらく、強い抗がん剤で体内に入った物質の分解機能が落ちているところへ睡眠安定剤を飲んだので、安定剤の成分を分解、排出できず、長くからだや神経に影響を及ぼしたのだろう。考えようによれば、同居者がいて、きちんとケアできるのなら、抗がん剤治療後は安定剤を飲んだほうが楽なのかもしれないと不謹慎にも思った。
 結局、この経験と反省を踏まえて辻本と話し合い、その後の5クールの化学療法中は、抗がん剤の点滴を受ける日を含めて5日間は休むようにスケジュールを組み替えた。どうしても5日目に出かけないといけないときは、先方と十分な安全対策を練った。
 それにしても身近な大切な人が、ある日突然“正気”でなくなってしまったら、こんな気持ちになるのだろうと思い知らされた一日だった。当たり前のことができない辻本をかばいたいような、いとおしいような気持ちの一方で、切なくて切なくてたまらなかった。そして、あるがままをさらけ出した辻本と、仕事上と人間としてのパートナーシップの絆を深めた一日にもなった。
 この経験で、患者の自己決定は患者本人にとっても難しく、厳しいことだけれど、一方で、それを支える周りのあり方も問われることを痛感した。本人が真剣に考えたうえでの結論である自己決定だからこそ、しっかりと支えたい。そのためには、どこまでも本人の意志を尊重する覚悟と、どのタイミングでどのようなサポートをするのかが問われる。しかし、それはあらかじめ想定したり、準備できることばかりではないのだ。この一件でそう実感した私の結論は、何があっても支えきるのだという腹括りをしたうえで、必要に応じて可能な限りすぐに動ける準備をしておくこと。その日以来、出かけるときは携帯電話をマナーモードにして握り締め、財布には最低5万円を入れておくことが、私の精神安定剤となった。

お断り/前号をお読みいただいた方から、複数のご心配の声が届きました。これは2年前の出来事です。現在は辻本も元気に仕事をしていますので、ご安心ください。