辻本好子のうちでのこづち

No.111

(会報誌 2004年6月15日号 No.166 掲載)

私と乳がん㉕

新幹線車中で倒れる!!
前夜に飲んだ薬が体内に居座って

山口 育子

※今号から2回に分けて、私の身に起こったことでありながら、ほとんど記憶がないため、山口育子に担当してもらうことにしました(辻本好子)

ロレツが回っていない!!

 化学療法を受ける決心をしたとき、抗がん剤を入れた翌日から仕事をするというのが辻本の自己決定だった。10数年前に化学療法を経験している私は「化学療法はそんな生易しいものじゃない」と思わず言いそうになった。しかし、自分の経験を押しつけるわけにいかない。それに、カイトリルという強力な制吐剤が認可され、最近ではそれほどひどい嘔吐の副作用はないらしい。ともかく、本人の自己決定を支えなければ、と言葉を飲み込んだ。
 いよいよ、化学療法初日の6月12日(2002年)がやって来た。朝から緊張していたら、昼ごろに「いま終わって帰ってきた」と辻本から電話。話ができるなんて、吐き気がないから。やっぱり治療は進化しているのだと実感した。
 翌朝、9:03新大阪発の新幹線で名古屋に移動する予定だから、8時過ぎに自宅を出るはず。ところが7時前から事務所で待機しているのに、一向に連絡が入らない。7:15には心配になって、私から電話をかけた。すると、「いま何時?」と明らかに起きたばかりの声。それに「眠れなくて深夜に薬を飲んだ」という一言と、いつもと異なる話し方が気になった。しかし、寝過ごしたのなら急いで用意しないといけないので、早々に電話を切った。
 寝起きだから言葉が変だったのか、それとも眠れず飲んだ薬の影響? 自宅まで行ってみようか。でもそんなことをしたら「私を信じていないの?」と辻本が傷つくかもしれない。迷った挙句、30分後に再度電話を入れ、ともかくせめて新大阪まではタクシーで移動してほしいと伝える。一応、私に応答はするものの、「さっきから、あちこちにぶつかるのよ」という声が、やはり変。酔っ払いのようで、ロレツが回っていない。出かけるのをやめたほうがいいのではという私に、「だいじょうぶ!」。やはり本人に委ねるしかないという気持ちと、自宅に駆けつけて阻止しようという思いで葛藤したが、結局、待つ決心をした。

辻本を迎えに東京へ

 8:30を過ぎると、スタッフが出勤してきた。しかし、私は辻本が心配で、明るく話をする気持ちになれない。押し黙りがちな私のせいで事務所内は緊張した空気が張り詰め、重苦しい時間が流れた。仕事先である大学に到着する10:40頃にともかく携帯電話に連絡してみようと思っていた矢先、辻本から電話がかかってきた。受話器をとるなり聞こえてきた「やっちゃった!!」という小さな叫び。すぐさま、寝過ごして名古屋で降りられなかったのだと察知した。
 辻本の乗っている「ひかり」は、名古屋を過ぎると東京までノンストップ。とっさに、「大学には休講の連絡をすぐ入れますから、安心して」と伝えて、いったん電話を切り、大学に連絡。そして、今度は新幹線の車内にいる辻本に私から電話を入れた。休講になったことに安心して緊張感が解けたのか、またもやロレツの回らない声で「動けない……」「気持ち悪い……」「夢遊病者みたいなの……」。あまりにもいつもと違う辻本の声と話し方に、涙がポタポタとこぼれ落ちた。それに、意志の疎通がうまくはかれない。きっと夜中に飲んだ睡眠安定剤(リスミー)がまだ効いているのだろう。嘔吐しているかもしれない。吐物で汚した姿を人目にさらしていないだろうか。吐いた物で喉を詰まらせたら……。そんな思いが頭をかすめ、これは迎えに行くべき事態だと決心した。そして、スタッフに新幹線車内に電話を入れて辻本の保護を頼むように指示して、11時に事務所を飛び出した。
 11:20新大阪発の「のぞみ」に飛び乗って、ともかく東京へ向かった。その間の連絡によると、指定席にいないので本人を確認できないらしい。危険な状態なので保護して欲しいと再度頼むように伝えて、つぎの連絡を待った。京都に着くころ、ようやく「辻本保護」の報が入った。
 それでも、東京までの2時間半は、車窓から景色を見る気持ちにすらなれなかった。携帯電話を握りしめ、背筋を伸ばして前を見つめたまま、心配でしきりに何かを考えようとしていた。しかし実際には何も考えられなかった。ときおり流れる電光ニュースを見あげると、そのたびに「村田英雄死亡」のニュースが流れていて、私の気分を暗くした。
 私の東京到着予定は、13:50。もうそのころには辻本も正気に戻り、いつもの調子で「こんなことで迎えになんて来なくていいのに」と怒るだろうなと思いながら、「今回は、意志の疎通がはかれない状態だったから迎えに来る判断をした」と言い訳しようと考えていた。東京駅の旅行者救護室で休んでいるという連絡だったので、東京に着くなり、走って救護室に向かった。(次号につづく)