辻本好子のうちでのこづち

No.105

(会報誌 2003年12月15日号 No.160 掲載)

私と乳がん⑲

結果説明と今後の治療
“楽観できない状況”の説明

 5月31日、ついに、そして、ようやく“その日”が来ました。5月2日に退院して以来、初めての外来受診。手術で切り取った、しこりとリンパ節の病理検査の結果が明らかになること。そしてこの日、今後の治療方針を主治医と相談することになっていました。
 文字通り、3時間待ち。朝9時から待ちつづけて、ようやく名前が呼ばれたのは12時10分を少し過ぎた頃。診察室に入って簡単な挨拶をしたあと、入院、手術でお世話になった感謝の気持ちを伝え、退院後はとくに支障もなく毎日仕事に励んでいることを手短かに報告しました。そうこうするうち主治医がおもむろに「では……」。私のほうに身体を向けてゆっくりと、病理検査の結果説明を始めました。
 しこりは「1.5×0.8センチ」。そして、切除したリンパ節に飛び散っていたがん細胞の数は、センチネルリンパ節(※1)に1個、リンパ節レベルⅠ(※2)に4個、同じくレベルⅡに2個の合計7個。さらに、切り取ったしこり組織の外側周囲5ミリ以内ギリギリのところまでがん細胞が存在していたことなど。わかりやすく図で示しながらの説明です。そこで一呼吸置いて、「……ということで、取り残されている可能性がかなり高いこと。そして、再発の危険度が高いということです」。淡々とつづく説明を聞きながら、どうやら楽観できる状況ではなさそうだということがわかってきました。
 「ホルモン受容体(※3)は(+)でHER2タンパク(※4)は(−)で、“勢い”はあるが性格は“割におとなしい”がん」だという主治医の言葉のあとに私の口をついて出たのは、「やっぱりがんの性格も本人に似るんでしょうか?」という意味のない不謹慎なジョーク。主治医は笑うに笑えないのか、一瞬、妙な空気が流れました。悪い知らせを告げられたときの患者は、一般的には“頭が真っ白”になるというのに——。この期に及んでもなお、その場の空気を少しでもやわらげたいと、妙なサービス精神を発揮している無節操な私。<ああ、なんて情けないヤツなんだ——>と、場違いな冗談を言った自分が嫌になって、恥じ入るような気分。ところが、そのときです。心のどこかで、<他人事じゃないんだヨ。現実をしっかりと受け止めなくちゃあ駄目だヨ!>と自分をたしなめ、そして、励ますもう一人の私の声が聞こえてきました。思わず背筋をピンと伸ばして、次につづく主治医の話を一言一句聞き逃すまいと気持ちを切り替えて耳を澄ませました。

主治医から“認容試験"の提示

 今後の治療は、「化学療法、放射線治療、そして、ホルモン剤治療が適応」であることが強調されました。そして、再発予防のため、入院中にすでに話のあった化学療法『FEC(フェック)100』という認容性試験の選択肢があることと、詳しい副作用などの説明がつづきました。
 『FEC100』という化学療法は、「シクロホスファミド、エピルビシン、フルオロウラシル」という3剤組み合わせによる抗がん剤治療。すでに標準的に使われている治療ですが、日本の場合、保険診療で認可されている「エピルビシン」の薬量は60mg/㎡まで。ところが10年ほど前から、フランスで100mg/㎡投与、つまり日本の1.6倍量を使うことで、乳がん患者の再発率が軽減し、生存率がわずかながら上がったという結果が出た治療です。
 フランス人に効果があったということは、当然のことながら日本人にも期待が持てるのではないかと、2年程前からリンパ節転移がみられた日本人の乳がん患者に試験的に始まった治療です。つまり、100mg/㎡の薬量で3週ごと6クール(6回)つづく治療に日本人が「どこまで耐えられるか?」という、文字通りの人体実験です。たまたま主治医がこの研究班の一員であるということで、「参加しませんか?」という“お誘い”でもあったわけです。
 失礼ながら、そのとき私の目にうつった主治医は、まさに垂涯(すいぜん)の面持ち。多分、私の病理の結果が、この人体実験にピッタリの症例だったのでしょう。だから「ぜひとも参加して欲しい——」という主治医の気持ちが透けて見えてくるような、インフォームド・コンセントに終始していたという印象が今も強く心に残っています。

悩み、迷い、考えて決めたい

 主治医からの説明を受けたあと、こんどは私からいくつもの質問をし、主治医はその一つひとつに丁寧に答えてくれました。そんな“やりとり”がしばらくつづいて、ふっと気がつくと、すでに診察室に入って40分ほどが経過。まだまだ待合室に患者さんがいらしたことを思い出して、「では、今ここで結論を出せませんので、おそれいりますが少し時間をいただけないでしょうか?」とお願いしました。おそらく主治医は、その日のうちに治療方針が決定するものと思っていたと思うのですが、「もちろん、いいですよ」と快く私の申し出を了解してくれました。
 自分で出す結論(自己決定)に責任を負うためには、十分に悩み、迷い、考える時間が私には必要だったのです。ならばということで、ほぼ1ヵ月後の6月27日が次回外来予約日となりました。

  • (※1)乳がんから転移する場合、最初にたどり着くとされているリンパ節
  • (※2)わき下リンパ節のなかで、乳房に近い部分からレベルⅠ〜Ⅲに分けて摘出範囲が決められる
  • (※3)女性ホルモンに影響されやすいタイプの乳がんであれば、受容体がプラスになる
  • (※4)がんが増殖するのに必要な栄養分を取り込む特殊なタンパク。これがプラスだと、再発した場合タンパクが働かないようにする「ハーセプチン」という抗がん剤が効きやすいと言われている