辻本好子のうちでのこづち

No.103

(会報誌 2003年10月15日号 No.158 掲載)

私と乳がん⑰

大好きな仕事に復帰!!

 連休の間、長男夫婦と次男が交代で退院後の介護(?)に当たってくれました。そして、彼らが日常へ戻っていったその日の夜。我が家ではじめて一人になって、突然、心に突き刺すような強烈な寂しさに襲われました。

揺れた心

 いつも誰かに見られている病院から、誰はばかる必要のない自宅に戻ったとはいえ、まだまだ半病人。食欲もなければ、元気も出ないまま布団でゴロゴロ、ソファでグダグダ。長男や彼のパートナーである「お嫁さん」が、あれこれ甲斐甲斐しく立ち働いてくれるたびに「ありがとう」「ごめんなさいネ」。身を縮めたくなるような気持ちで、精—杯の作り笑い。どうして、もっと素直になれないのだろう。もちろん、同居しているわけではないので互いに遠慮もあり、こんな状態でありながらも<少しでも姑らしい>という勝気な気持ちがあったのかもしれません。そんな不自然な気持ちは、当然、相手にも伝わるもの。何もこんなときまで——とホトホト自分が嫌になりました。
 じつは、母子ほど歳の離れた2人の姉にも、そして息子たちにさえ私は気を遣ってしまう人間(ただ不思議なことに、仕事のパートナーである山口にだけはまったく何の遠慮もなく、好きなことが言えてしまうのですが……)。いわゆる八方美人。ようは人に嫌われたくないだけのこと。小さい頃から、なかなか「ノー」が言えなくて、いつも母から「まったく、お調子者で困ったもの」と叱られていました。けれども誰からも良い子と思われたい願望が人一倍強いということは、それなりにプレッシャーがあって、“素の自分、正直な自分”になり切れない自分に嫌悪感を抱いていた時期もありました。
 退院した2日目には、すでに気疲れを感じはじめていただけに、正直いって、一人になってホッとしたはずなんですが……。
 手術した胸の傷には大きなガーゼが貼りつけてあり、右腕を動かせば全身に痛みが走る。手術した右側を下にして寝ることもできず、寝返りも打てない。横になってはいるものの、まさに身の置き所のない気分。夜中の1時を過ぎているのに、コチコチと妙に冴えた時計の音が耳に響いて一向に眠れない。小さな灯りも気になって眠れないたちなので部屋は真っ暗。ときどき遠くで走る、車の音が聞こえてくる——。そのときです。思いがけないほど突然に、「ああ、私はいま、ほんとうに一人ぼっちなんだ!!」いう気持ちになって、急に涙が溢れそうになってしまったのです。
 しかし、そこは能天気かつお調子者の好子ちゃん(!)。気持ちの切り替えはいたって早く、「なんのこれしき!」「こんなことで泣いてなるものか!!」。誰に言うでもなく、天井に向かって声を張りあげたら、気持ちがスーッと楽になりました。そして、心なしか痛みまで軽くなったような気がしたのです。しかし、それでも、やっぱり<この先、いったい私はどうなるのだろう?><再発するかもしれないし、いつ転移するかわからない>と考えると、ますます頭が冴えて、なかなか寝つかれません。とうとう窓の外が白白となり、ようやく長かった夜が明けました。

忙しく仕事をしていたい!!

 ここ数年、ともかく忙しかった。JRでいえば、COMLスタート当初が普通か快速のスピードで、最近は毎日が新幹線並みの「動」の状態。そこからいきなり「静」であることを余儀なくされてしまったのですから、病を得た以上に、精神(こころ)が不安定に揺れ、弱気になるのも当然だとは思います。しかし、それにしても、やっぱり私は忙しくしていないと足元が定まらない人間。これはどのワーカーホリックだったとは——。それなりに自覚はしていたつもりでしたが、まさかこればどの重症だったとは——。ほんとうに我ながら呆れる思いでした。
 そうして、まさにその翌日。多少の不安を抱きながら社会復帰第一歩を踏み出しました。5月7日午前9時。予定通り、というより強い希望で、私は大阪市立大学医学部附属病院の講堂に立っていました。新人の研修医130人を前に90分間、患者の立場としてCOMLからのメッセージを伝える役割。『いま患者が医療に望むこと』と題した話を聴いてもらう、復帰後初の仕事に挑みました。
 これまでの講演では「……と、こんな相談がCOMLに届きます」などなど、電話相談に届く患者や家族の「なまの声」を紹介する“代弁者”でしかありませんでした。しかし、10日間の入院生活と乳がん手術で「私はこんなことを感じた」という実感もありました。実体験を交えることで話に多少の膨らみが出るのか、いつも以上に聴き手の眼差しが真剣だったように思ったのはウヌボレでしょうか。<やっぱり、乳がんは神さまのプレゼントだったんだ>と思いながら、ときどきからだがフワァ〜〜と宙に浮くような感じがしましたが、熱心に耳を傾けてくれる研修医たちに励まされながら無事に役割を終えました。
 その翌日も17時から名古屋大学医学部倫理委員会。そして、名古屋泊りで、東京に移動。2月に発覚した川崎協同病院の「安楽死事件外部調査委員会」の会議に出席。講演、そして出張と、早々に“私の日常”が戻ってきました。日を重ねるごとに気持ちがシャンとしてくるようで、何が何でも仕事がしたいという一念で凝り固まっていました。山口の強力なバックアップの元、こうして着実に一歩ずつの現場復帰がはじまりました。