辻本好子のうちでのこづち

No.098

(会報誌 2003年5月15日号 No.153 掲載)

私と乳がん⑫

小説さながらの“部長回診”

 そういえば……。
 術後6日目の14:00頃。突然、病棟中に「まもなく部長回診が始まりますので、患者さんはベッドに横になってお待ちください。ご家族、お見舞いの方はエレベーターロビーにてお待ちください」という放送が鳴り響きました。
 なんと、なんと、30年以上前にベストセラーになった『白い巨塔』(山崎豊子著)で、大学病院の象徴として描かれた、あの部長回診です(ちなみにこの秋、25年ぶりに再びテレビドラマ化されるとのこと)。どこの病院のスタッフに聞いても「大名行列」と評判が悪く、入院直前に読んでいた『沈黙野』(米山公啓著)という元神経内科医が大学病院内に渦巻く欲望をリアルに描いた本にも「医局員のだれもが回診の意味などないと思っていた」というくだりが強く心に残っていました。
 放送から待つこと20分。部屋に飛び込んできたナースから、ベッドに横になって待つようにという指示とともに「今日は部長が不在で、副部長の回診になります」と説明がありました。そうこうするうち病室の入り口が妙にザワつきはじめ、部屋のドアが開くやいなや、いきなり研修医を引き連れた副部長が「自分で見つけたんだって?」とにこやかにご登場。ベッド脇に立ったまま上から見降ろされると身が縮み、思わず「ハイ」と従順に答えている私。<オイオイ、いつもの好子さんはどこへいっちやったの?>と、私らしくない自分に言いようのない違和感を覚えました。
 自分で(しこりを)見つけた——という私の情報は、おそらく病室に入る前に病棟主治医である研修医から聞いたのでしょう。短い時間とはいえ、患者の個別性としっかり向き合う姿勢はさすがです。研修医が大きなピンセットで右胸のガーゼをはがすと、すかさず傷口あたりを丁寧に触診して「ハイ、大丈夫でしょう」。患者の私に向けたのか、研修医への指導だったのか。結局、誰の返事もないまま、ドクター集団は背中を見せて次の部屋に移動して行きました。
 部長回診と聞いて、どんな質問をされるのかしら。術後の痛みはないか、退院後の不安はないかなど、後ろに控えている研修医を意識した模範的な対話になるかもしれない——。多少の期待を膨らませて待っていただけに、まさに肩透かし。<エッ、これでオシマイ!?>と、なんだか裏切られた気分。
 もし私が、再発や転移した患者だったら、もう少し医学的な興味関心を寄せてもらえたのかもしれない。けれどもリンパ節を切除した程度では、さしたる関心を持てるはずもない。そんなことは重々承知はしていたけれど——。たしかに、限られた時間ですべての病棟患者を回るとなれば効率性が求められても仕方がない。一人ひとりの患者とゆっくりおしゃべりなどする余裕がなくても当然。しかし、それにしても——。なんだか空をつかむような、虚しい気持でした。
 回診の集団が部屋を出ようとした、ちょうどそのとき。廊下で“待機”させられていた山口の話によると、一人の研修医が息せき切って走ってきたそうです。しかし、追いついただけで病室の入口でUターン。その研修医は結局、乳がんの術後患者である私と副部長のやりとりを一切聞けずじまい。なんともお寒い研修指導が部長回診の幕切れとなりました。
 ドラマや小説と同じく、ただ医者の権威を誇示するだけの印象しか残らなかっただけに、患者にとっていったい何の意味があるんだろう、ほんとうに必要なのかと、いつまでも「???」という気持を引きずっていました。後日談ですが、ひょんなことから退院後に、この「部長回診」について診療部長とメールでやりとりする機会がありました。
 メールのなかでじつは部長も、ずっと以前からシステムの見直しの必要性を感じていたとのこと。しかし、なかなか院内スタッフの合意が得られないことや、もっと良いスタイル(方法)が見出せないまま従来のスタイルを踏襲していること。もちろん希望されない患者さんの回診はおこなわない。そもそも部長回診の目的は、ドクターや研修医の教育であり、患者からのクレームを抽出することであって、決して権威を見せつけることではない。しかし、医療者側の管理が目的であるだけに「患者さんに(部長回診の)意義が見えてこないのは当然でしょう」と、苦しい胸の内が吐露されていました。
 さらに、診療科の責任者が患者と顔を合わせ、担当医に治療上の方針を確認することが目的とはいえ、2時間以内で100人以上の患者さんを回っているのが実態とも。「異様とは思うが、多くの医療者が時間を合わせて集まることで、より効率的に情報交換がおこなわれ、また意見を伝達するには便利なシステムです」「しかし、目的と意義について、これからも考えて行きたいので、意見を聞かせて欲しい」というメッセージも届いています。
 患者中心の医療を模索する時代のなかで、今後の部長回診がどうあればいいか。できればCOML誌上で意見交換できればいいなあと願って、部長回診体験リポートといたします。