辻本好子のうちでのこづち

No.096

(会報誌 2003年3月15日号 No.151 掲載)

私と乳がん⑩

“早期退院”の目標に向かって作戦開始!

 最初にお断りしておきますが、すべての入院患者が早期退院を目標にする必要はありません。予定通り、ゆっくり入院することが療養には不可欠です。まして最近、早期退院勧告に悩む患者さんやご家族からの相談が急増し、電話相談をお受けする側としても心を痛めているだけに、決して入院日数を短くしようとおすすめしているわけではありません。ただ私は、ボンヤリしていることが苦手であることと、たまたま今回、十分な気力と体力が備わっていただけのこと。いずれ、自分の意思ではどうすることもできない状況(入院)になる日がくるだろうと、覚悟しています。
 ともかく一日も早く仕事に復帰したい。なにしろ連休明けには、ぎっしり予定が埋っている。予定より4日早く退院できたら、とりあえず5月7日の某医大附属病院の研修医オリエンテーションで130人のフレッシュなドクターたちに想いが語れる。なんとか、この希望を実現させたい。そのためには、まずはリハビリに励もう。そして、私の自己実現の支援者としてナースたちの協力を取りつけようと、あれこれ密かな作戦を立てました。
 術後2日目から食事はすでに並食。3日目の朝食もペロリと平らげたあと、心配している姉に電話をかけようとエレベーターホールの公衆電話へ。私が入院した病院の玄関にはボックス型の公衆電話は並んでいるものの、病棟にはそれがない。拡大手術になったことを淡々と知らせると、電話の向こうで姉が泣いている。それを聞いているうちに不覚にも目頭がウルウルし、ウッと胸にこみ上げてくるものを感じる。しかし両隣にも電話をかけている人がいるし、エレベーターホールには大勢の見舞いの人たちもいる。そんな中でメソメソしたくはない。「乳がんなんて、すぐ死ぬ病気じゃないんだから、大丈夫ヨ!」と、空元気を出して姉を励ます私。なんだかヘン!
 病院って所は、患者が泣きたいときに心から泣ける場所がないんだなあ〜と改めて実感しました。
 一日も早い回復を目指すリハビリ計画の一つは、手術した側の腕の上げ下ろし。そして病棟のある9階から1階までの階段を1日数回上り下りすること。入院用品にひそませたウォーキングシューズに履き替えて、いそいそと病室を出る患者の姿はちょっとばかり異様だったに違いない。ナースステーションの前を通るたびに「あまり頑張りすぎないでくださいヨ」とナースから声をかけられ、私はニッコリ笑ってVサイン。
 腕のリハビリというのは、壁に貼った赤いテープまで手を上げること。手術の前日、両手を目一杯上げて“正常値”を測定。はるか遠くに感じる赤いテープが私を奮い立たせてはくれるものの、ともかく傷口が痛い。いくら歯を食いしばって頑張ってみても、半分の高さにも届かない。入院前、先輩患者の友人から「腕は絶対に元に戻るから大丈夫」と経験談を聞かされていたとはいえ、頑張りのきかない歯がゆさから<もう一生、腕が上がらないのでは?>と、強い不安に襲われました。<よ〜し、負けるもんか>、そんな無茶・無理がたたったのか、その日の夕方、ドレーンから再び出血。ナ一スから「もう少し控えてください」と注意されてしまいました。
 夕方、病棟主治医から、最終的な術後の説明ということで『乳房温存非定型手術、病期はⅡa』であることの再確認。そのとき、さり気なく早期退院という私の希望の可能性を打診してみると、案の定、「婦長さんと相談して決めてください」。気の抜けるほどサラリとしたお返事。やっぱり思っていた通りここで、病棟の管理責任者である看護師長の協力が最大の“武器”になることの確信を得ました。
 ということで、まずは病棟ナースに「私」という人間を理解してもらうこと。そのためには、ナースの個性としっかり向き合おうと考えました。ところがナースは1日三交代勤務で、訪室するたびに顔ぶれが変わり、とても名前まで覚え切れない。だからほとんどの患者さんが、「看護婦さん、看護婦さん」と総称でしか呼べず、固有名詞を持った個人としての“やりとり”や“つき合い”を諦めてしまうのでしょう。
 それでも私は、自己紹介のあったナース、あるいはイキイキとした笑顔、さらには全身から「少しでもあなたのお役に立ちたいんです」というメッセージが伝わってくるようなナースの顔と名前をしっかりインプットし、ノートに記録しました。夕方5時に訪室して、「今夜1:00まで担当させてもらいます○○です」と丁寧に準夜勤担当であることを説明してくれたナースには大感激。私は、そうしたナース一人ひとりに「私」という人間を理解して欲しいと、懸命に想いを言葉に置きかえて、いっぱい話を聴いてもらいました。
 その一方、無表情だったり、あまりにもマニュアル通りの質問しかしないナースには、ついつい私の対応も紋切り型。少なくとも患者の私がサービス精神を発揮しようという気にもならなければ、まして自立の応援団になって欲しいなどと思いもしませんでした。たしかに医療も看護も人と人の間でおこなわれる営みです。それだけに、どうしても相性という問題を避けては通れません。しかし、向かい合ってくれたナースが「どんな表情をしているか?」「どんな声がけをしてくれたか?」によって、患者の気持ちは大きく変わるもの。コミュニケーションは難しい、100点満点の正解もない。けれどもお互いが“目の前の相手は自分を映している鏡”と思うことで、それぞれが何を努力すればいいのかが見えてくる。入院して、改めてコミュニケーションの大切さを学ばせてもらいました。