辻本好子のうちでのこづち

No.078

(会報誌 2001年8月15日号 No.132 掲載)

患者が主人公のホスピス診療所

 一人には見つめ続けられないものが2つある。それは太陽と死である——という言葉があるけれど、“死”は絶対に目をそむけてすむ問題ではありません。誰にだって、いつか必ず訪れる逃れようのない現実です。しかし、それにしても、こんな切ない死の報道が絶えないのはなぜでしょうか。8月はヒロシマやナガサキ、そしてオキナワ、さらにはアウシュビッツと、“いのち”について考えさせられる報道がとくに増える月。だから、というわけではないのですが——。
 じつは5年程前から、九州の南の地で患者の生きる力を支え切る見事な終末医療が展開されていると問いていました。ずっと以前から、そのホスピスを訪ねてみたいと思っていたのですが、ようやく念願がかないました。

細やかな心配りと脇役に徹する医療者

 街の真中に立つ個性的な5階建てビル、19床すべてが個室という前代未聞の有床診療所。どっしり重い木製ドアを押して玄関に入ると「素足のまま、どうぞ」。入口正面にド〜ンと据えてあるのは、茶室の庭に見る年代物の大きなつくばい。チョロチョロと涼しげな水音が辺りに響いていました。1階の受付・待合室はまるでペンションのロビーのよう。初めての訪問で多少の遠慮はあったのに、尊敬する屋久島の詩人・山尾三省の詩を壁に見つけて、一気に心の距離が縮まりました。
 楚々とした生け花が飾られたらせん階段を上がった2階は、外部の人も食事のできるヘルシーレストランとミニギャラリー。ときどき入院患者さんや家族が演奏する音楽会も開かれるとか。売店には、見舞いに来た孫が「おじいちゃんが買ってくれた」と、いつまでも思い出になるような洒落た小物が厳選されています。奥は特殊浴槽を備えたバスルームで、ヘアカットや足浴、マッサージなどもおこなわれているとのこと。
 3、4階は病室と家族用のデイルーム。長期滞在の家族のためにミニキッチンも用意されています。有床診療所だけに、ホスピス医療に対する助成などの特典がない分、がんとエイズ患者だけという制度上の縛りもありません。
 慢性疲労症候群やアトピー、つわりなどで長期に入院する人向けの小さ目の部屋が4室、そして畳敷きが3室。19室ながら、用途別に選べる多様な選択肢が用意されているのはさすがです。いわゆる差額ベッド料は和室の場合、1日15,000円。初めは高いという印象を抱くようですが、遠来の家族が数人泊まれるスペースがあることから、ホテル代を考えると結局は割安感。まるで温泉旅館に集まった家族のようで、医療者が出入りするとき、かえって気をつかうこともあるとか。
 さらに「天国に最も近い」5階に霊安室があって、隣の会議室の壁を取っ払うと50〜60人収容のホールにもなり、お通夜や葬式、催し物や講演会も開かれるそうです。
 一人ひとりの「物語」が終焉を迎える晴れ舞台。一分のスキもないほど細やかな心配りと、洒落た演出がなされた空間。きっと誰もがこんな場所で死にたいと願うに違いない、家庭的な温かい空気が隅々まで漂っていました。
 しかし感動はそれだけではありません。もっとも強く印象に残ったのは、医療者の姿が目立たず、見事に脇役に徹していることでした。院長らトップの意識もさることながら、知的な障害を持つスタッフ3人がかもし出すユッタリした“組織の意識・文化”のなせる技かもしれません。今回は院長夫妻と常勤のドクターの話だけ伺いましたが、つぎは、ぜひともスタッフの方々の話をじっくり伺おうと企んでいます。