辻本好子のうちでのこづち

No.023

(会報誌 1996年11月15日号 No.75 掲載)

“選ぶ”には自助努力と自己責任

 病気は日常生活に突然飛び込んでくる非日常。人と人とを強引なまでに向き合わせてしまう接点にもなり、行先のわからない電車に無理矢理押し込まれ真っ暗なトンネルを一人で進むような不安もつきまとうもの。痛みや苦しみ、切なさも哀しさも全部まるごと引き受けるしかない自分自身の「もちもの」でもあります。さまざまに情報の溢れる昨今。自分の病気とどう向きあうかの違いについては、世代による格差はもちろん一人ひとりの思いが想像以上に高質化・多様化しています。

まだまだはびこる“おまかせ医療”

 インフォームド・コンセント普及バッジ作戦の展開(前号参照)を取材にきた記者が、郷里の父(62歳)が脳梗塞で倒れて突然の入院、初めて家族の立場になった体験を語ってくれました。母からの電話でとりあえずいのちに別条のないことを確かめ、仕事をかたづけて明後日帰ることを約束。ようやく落ち着きを取り戻して事の顛末を語る母が、入院先の主治医がとても親切で、優しいお医者さんだということを何度も繰り返すのを聞きながらMさんは何よりも安心したそうです。
 ところが帰郷して父を見舞い、病室に現われたその主治医に会ってMさんはビックリ。すべて私にまかせておきなさい式のなんとも古いタイプの人。病状や治療方針はおろか処置に伴うリスクなどは一切説明がなく、Mさんがいろいろ質問しようとするとにわかに厳しい表情になって「忙しい」を理由にやりとりの途中でそそくさと立ち去ってしまいました。どんな説明を受けているかを母親に問いただしてもらちが明かず、そのうえ主治医がウン万円の謝礼の入った封筒も平気で受け取ったと聞いて「なんて医者!」と批判すると、母親は「有名な先生に対して失礼な!」と、逆に叱られてしまったとMさんは苦笑します。
 父親の病気で突然わが身、わが家に降りかかった医療問題。考えてみればこれまで一度だって両親と病気になったときのことについて話し合ったこともなく、直面して初めてそのことにも気づいたような始末。さらには自分自身の医療観や期待が、両親とかけ離れていることに正直、とまどってしまったとか。結局のところは父や母が安心し、納得できることが一番。そう思ったMさんは、病状もさほど深刻ではなかったこともあって「とりあえず僕の主張は譲って帰ってきましたが、ほんとうに、まだまだおまかせ医療がはびこっているんですね」。記者本来の仕事の顔に戻って改めて問題の根の深さを嘆きつつ、「ガンバッテくださいね」と励ましの言葉を残して行かれました。

 話は変わりますが、先日たまたま出張先で、いつもはビジネスホテルなのに旅館に泊まってみようと思い立ち、知り合いに頼んで評判のいい宿を紹介してもらいました。民宿に毛のはえたような、それでも当地ではそれなりの老舗らしく、かなりのプライドを持っている、そんな旅館でした。たまたま案内された和室の前が大広間で、宴会のまっ最中。ボリュームいっぱいのカラオケが流れてくるうえに、部屋の鍵が壊れていました。早速フロントに「部屋をかえて欲しい」と電話して、すぐに移動できたのですが、なぜか帰るときまで私は旅館の人の冷たい視線を浴びつづけ、なんとも居心地の悪い思いを味わいました。
 もしや「郷にいれば郷に従え」で我慢が美徳と言うなら、私にはできない相談。しかし、人まかせで探してもらった宿だけに誰にも文句は言えません。やはり安心することと納得するということは、自助努力・自己責任をまっとうする心構えが必要のよう。なにしろ「選ぶ時代」、宿なら一夜ですむけれど……。わがままな私でも入院したくなるような病院、そろそろ“その気”になって探しておかなくっちゃ!!