番外・COML史「賢い患者」

第10回

(『ツ・ナ・ガ・ル』2017年春号 掲載)

創始者のがん治療のすべてを受け止め支える

 2002年4月にCOML創始者・辻本好子が乳がんと診断され、手術を受けることになりました。手術は乳房温存術だったのですが、当時積極的におこなわれていたセンチネルリンパ節生検で腋下リンパ節に転移が見つかり、リンパ節の郭清もおこなわれました。乳房温存術だと放射線治療がセットで実施されるのですが、腋下リンパ節への転移が見つかったために加えて抗がん剤治療も受けることになりました。
 その12年前に私は卵巣がん患者として治療を受けてきたのはこれまでにも書いた通りですが、身近な人間ががんを発症し、そのサポートをする役割になったのは初めてでした。辻本は1997年に離婚していたので配偶者はいませんが、成人している息子が2人います。しかし二人とも当時は愛知県在住だったこともあり、私はキーパーソンとしてすべての説明を一緒に受け、入院中は洗濯や身の回りのサポートなどもしました。とくに本人が望んだのは、朝は美味しいコーヒーを飲みながら新聞を読みたいということ。そこで、豆から挽いたコーヒーを美味しい水で立てて毎朝届け、夕方はコーヒーを飲みほした魔法瓶の回収と共に洗濯物を受け取り、仕事の打ち合わせをして帰り、洗濯をするのが入院中の日課となりました。
 辻本自身は腋下リンパ節の転移は結構ショックだったようで、ドクターから受けた説明内容も私の受け止めと食い違う面があったり、抗がん剤治療を始める前はナーバスになったりしました。ただ、その頃すでに私は辻本がマイナス感情を出せる唯一の人間である事実が確立していたので、ともかくすべて受け止めて支えようと決めていました。
 なかでも忘れられない思い出は、初回の抗がん剤治療の翌日の出来事です。そもそも、抗がん剤治療を受けた日、「今、帰宅したの」という電話を受けて私が一番に思ったのは「隔世の感あり」でした。私の抗がん剤治療中は1週間ベッド上の人となり、言葉を発するだけで嘔吐を誘発するので会話をすること自体あり得ませんでした。それが強力な吐き気止めがあることで外来化学療法を受け、帰宅していつも通り電話連絡ができるのです。「時代は変わった。夢のようだ」と思いました。
 さらに辻本は「こんなに楽だったら、明日は予定通り大学薬学部の講義に行く」と言います。ほんとうは初回ぐらい仕事を休んで様子をみてほしいというのが私の本音でしたが、本人の意思を徹底的に支える覚悟だったので、言葉を飲み込みました。しかしやはり心配だったので、翌日7時過ぎに辻本に電話を入れて状態確認をしました。講義は名古屋だったので、8時頃には自宅を出発しないといけなかったからです。すると、明らかに寝起きの声で「今何時〜?」と。しかも何やら呂律が回っていません。今から準備するというので、その場はすぐに電話を切りました。そしてしばらくして再度電話をかけると「あちこちにぶつかるの……」と、いつもと明らかに様子が違うのです。断片的に話す内容から、明け方まで眠れなくて睡眠剤を3時か4時に飲んだことがわかりました。薬の影響がどうやら抜け切っていないのだとわかりました。そこで「今日は講義に行くのやめましょう」と提案したら「いや、行く!」「じゃ、せめて新大阪まではタクシーで」と約束してもらって、自宅に駆けつけ阻止することは我慢しました。
 切符の手配などはすべて私がしていたので、何時に名古屋について、どの席に座っているかは把握しています。名古屋駅から更に移動して大学に到着する時間を見計らい、そろそろ電話を入れてみようと思っていたところに辻本から私の携帯に電話がかかってきました。「やっちゃった……」。これまでの経験から、その一言で新幹線車中で眠ってしまい、名古屋駅で降り損ねたとすぐに察しがつきました。そして、まだ呂律が回っていないこともわかりました。そこで「すぐにお詫びして休講にしてもらうので、折り返し電話をするまでそのまま車中で休んでいてください」と伝え、すぐに大学に連絡しました。そして、事務所のスタッフに辻本の乗車している号車と座席を伝え、新幹線車中に電話をして保護してもらうように指示して、事務所を飛び出しました。今ではもう存在しませんが、当時は名古屋の次は東京までノンストップという新幹線があり、それに乗車していたのです。私は迷わず新大阪駅に向かって移動を始め、切符を購入して東京行きの新幹線に飛び乗りました。
 新幹線に乗ってからは何度も辻本の携帯に電話をかけるのですが、なかなか出ません。車中で嘔吐していたら……、朦朧として吐物を喉に詰まらせていたら……と気が気ではありませんでした。ようやく京都駅に着いた頃、辻本が電話に出ました。私が東京へ迎えに行くと言ったら、「それが私の一番嫌なことだって、あなた知っているでしょっ!!」と怒鳴られること覚悟のうえで、「緊急事態だから、迎えに行くために今新幹線で東京へ向かっています。今回は言うことを聞いてくださいね」と一気に言ったら、意外にも「はい」というしおらしい返事が返ってきました。さすがに不安だったのだと思います。