番外・COML史「賢い患者」

第9回

(『ツ・ナ・ガ・ル』2016年秋号 掲載)

NPO法人の船出に訪れた2つの試練

 COMLが活動をスタートした当初は、「医療者に厳しい要求をする団体ではないか」と医療側から構えられたり、「賢い患者なんかつくらなくていい」と匿名の医師から電話が届いたりしたこともありました。また当時、市民グループというと団塊の世代が中心になっていたので、学生運動の名残りもあり、患者と医療者を対立軸に置いて活動するものだと当然のように決めつけている人もいました。そのため、患者側の団体からも「対立しなくて何が市民グループだ」「コミュニケーションを大切にする活動って、医療者との仲良しごっこではないか」と批判されたことがあります。しかし、活動も10周年を迎えたあたりから、COMLの活動趣旨の理解者が増え、「対立していないから被害者の立場でなくても活動ができる」と参加してくださる一般の方が増えてきました。また、「患者の視点を採り入れて医療現場を変えたいので、手伝ってほしい」と模擬患者の派遣や病院探検隊の依頼も増えるようになっていきました。特に2002年は16医療機関から病院探検隊の要請が届いたのです。
 その2002年、COMLにとって大きな出来事が重なりました。まずは4月1日にNPO法人(特定非営利活動法人)になったということです。NPO法人は「ボランティア元年」と言われる阪神・淡路大震災を契機に、1998年特定非営利活動促進法が施行されてできた法人です。ボランティア団体や市民グループに法人格を与えることによって、活動に信用や継続性を持たらし、事務所の契約などもスムースにできるようにという思いで法律ができました。しかし、既に約10年活動を継続していたCOMLは事務所契約もできていましたし、法人格を得る必要性にさほど迫られていませんでした。むしろ、役所に毎年提出する書類の煩わしさを考えると、「書類作成に時間を費やすより、もっと活動に力を入れたい」と思っていました。正直に言うと、それらの書類作成は自ずと私の仕事になることが見えていたので、私自身が前向きになれなかったという今だから明かせる本音があります。
 しかし、団体としての信用性、活動の継続性を考えると、徐々にそうは言っていられなくなりました。特定非営利活動促進法の制定に尽力した方からは、「COMLを視野に入れて医療の分野も組み入れたのに、なぜNPO法人化しないのか」とお尻を叩かれていたということもあります。ただ、それ以上に気になっていたのは、銀行口座一つをとっても個人名義なので、個人に何かあったときは、団体として継続できなくなるということです。そこで10周年が過ぎた2000年頃から検討を始め、2001年に申請をしました。そして目指した通り、2002年度が始まる4月1日に認証を受けることができたのです。
 ところが、そこにいきなり訪れたのが2つの試練でした。
 まず、4月8日に創始者・辻本好子が乳がんと診断されました。辻本と私はいつも年末年始に温泉旅行に出かけていたのですが、その年のお正月、「胸にしこりがあって気になっているの」と打ち明けられました。しこりに触れて感想を問われ確認すると、つるんとした感触はなく、ガタガタした感じでした。直感的に「これはまずい」と素人でも感じました。そこで、「旅行から帰ったら、すぐに受診を」と勧めたのですが、本人は「いや、もう少し様子をみてみる」と応じません。もしかしたら、検査を受ける恐怖があったのかもしれません。その後も何度か受診を促しましたが、言えば言うほど頑なになるので、心配を押し殺して促すのを我慢することにしました。しかし、本人もこれではいけないと思っていたのでしょう。3月に別のことでかかっていた皮膚科の女性医師が話しやすい方だったことから、思い切って症状を打ち明けたところ、「すぐに乳腺外科で検査を受けてください」と言われ、本人もようやく決心し、私がいろいろと情報を集めて受診先を決め、検査が始まりました。そして、4月8日に診断がついて、手術日が決まりました。翌日折しも京都の病院への探検隊だったのですが、仲間のいる前では二人とも何事もなかったかのように装っていましたが、行き帰りの道中はかなり切迫した雰囲気でいろいろと相談したことを覚えています。
 そこに輪をかけたのが、4月13日に届いた初代理事として名を連ねていただいていた井上平三さんの訃報でした。井上平三さんは朝日新聞の記者だったのですが、「実は私は大腸がんの患者でして、患者としてCOMLにかかわりたい」というお手紙をいただいて以来、さまざまなCOMLの活動にかかわってくださっていました。ところが、大腸がんの肺転移が見つかり、それを切除したものの、がんの進行は止められず、57歳という若さで帰らぬ人となってしまわれました。「お役所寄りは嫌だけれど、これからの時代、やはりNPO法人にしておいたほうがいいよ」と法人化への後押しをしてくださった方でもあっただけに、とても大きな存在を失い、「NPO法人としての船出がいきなり暗礁に乗りあげてしまった」とかなりの悲壮感が私に迫ったのです。