番外・COML史「賢い患者」

第8回

(『ツ・ナ・ガ・ル』2016年夏号 掲載)

医療不信から医療崩壊へ、メディアの功罪

 COMLが活動をスタートした当初から取り組み、日常の活動の柱としてきたのが「電話相談」です。26年間の歩みの中で、届いた電話相談の総数は56000件を超えています(2016年7月末現在、56426件)。
 事務所が大阪市にあるため、電話相談を受けていると言うと、相談者は関西の人たちが大半だと思われがちです。しかし、実際には関東地域からの相談が最も多く、次に関西という状況です。もちろん北海道から沖縄まで全国から届きますし、時折、海外で暮らしている方からの相談もあります。どういう地域からの相談を多いかを見てみると、患者さんの権利意識の高い地域と一致する傾向があります。
 活動を始めた1990年当初は、多くの患者は受け身でお任せに甘んじるしかなく、情報はほとんど閉ざされていました。がん患者に病名を伝えることもなく、抗がん剤以外の薬ですら薬剤シートに薬剤名が記されていなかった時代です。そのため、「これは何の薬ですか?」と問うと、「あなたに必要な白い錠剤です」という回答だけで信じて服用するという、今では信じがたい状況でした。それだけに、届く相談も受け身でお任せ。誰にも言えなかった想いを吐き出した後、解決方法についての話になると「自分で何か行動を起こすなんてとんでもない。話を聞いてもらえただけで気持ちが楽になりました」と受話器を置く方が多かったのです。
 しかし、1990年代は患者を取り巻く環境が目まぐるしく変化した10年間でした。一気に情報化の時代となり、1990年代半ばにはがん患者に病名を伝えることは当たり前になり、1990年代の終わりには余命を含めてすべて伝える時代へと変化しました。副作用や合併症なども事前に伝える必要性が叫ばれ、全身麻酔による手術を受けるとなれば、麻酔による死亡確率まで示されるようになりました。そして、それまで表沙汰にならなかった問題点も明るみになり、患者の権利意識・コスト意識の台頭と共に、不信感が芽生え始めた時期でもあります。
 そして、1990年代最後の1999年の年明けと同時に、横浜市立大学医学部附属病院での患者取り違え事件、1ヵ月後の都立広尾病院での消毒液を点滴に誤注入した患者死亡事故をきっかけに、マスメディアの医療事故・ミスの報道が一気に過熱しました。それに煽られるかのように、COMLに届く電話相談は医療不信一色になり、件数もうなぎ上りに急増しました。不信感のピークは2003〜2004年にピークを迎え、1件の平均時間約40分の電話相談が月に500数十件届くようになったのです。この2年間は年間新たに提起された医療訴訟が1000件を超えたこれまでにない2年間でもあります。受話器を取ると、いきなり「医療ミスに遭ったんです」「賠償金はいくら要求できますか?」と訴える相談が、一日中続いていた時期でした。
 その後、しばらくその傾向は続きましたが、2007年になると、マスメディアの方向性が少し別の方向へとシフトし始めました。あまりにも医療者を攻撃したことにより、医療現場の萎縮や防衛的な対応を惹起したことへの反省なのか、「医療崩壊」という名の下に「医師不足」や「救急医療の危機」という医療界が直面している課題をクローズアップするようになったのです。そうすると、医療事故・ミスの報道は影を潜め、それに見事に呼応するかのように、「医療訴訟に訴えたい」という相談が激減しました。
 ただ、医療不信が高まったことによる一つの福音があります。それは、医療現場の医療安全に対する意識が高まると共に、医療安全に対する対策が講じられるようになったことです。医療安全管理者が医療機関の中に置かれ、ヒューマンエラーからシステムエラーへと考え方が変化しました。そして、コミュニケーションや接遇の必要性が重視され、私たち患者から見ても目に見えて医療者の患者対応が変化しました。そして、今では医療機関で起きた問題は、医療機関の中できちんと対応する窓口や体制も整えられてきています。
 ただ、前述したように26年間活動を続けてくるなかで、いかに一般の方々の意識がマスメディアの報道に左右されているかを痛感してきました。そして情報化の時代が更に加速する中で、今私は別のジレンマに悩まされています。多くの人に知ってもらいたい情報を伝える手段が、気がつくとなくなっていたのです。現在、新聞を読む人が減り、テレビを見る人すら減っていると言います。多くの人々の情報源は「ネット」です。ネットは関心のある情報を選んで更に深く入っていきますから、今は関心がなくても、知っておいてほしい情報を伝える手段がなくなっているのです。次なる課題として、これをどう克服していくのかが問われていると思っています。